バージョン2のラストダンジョンを踏破したヒトは、大魔王マデサゴーラがなんというかちょっとアレな性格をしていることに首を傾げただろうと思う。正直、なんでこんなヤツが大魔王をやってるんだと当時は思ったが、よくよく考えてみるとマデサゴーラさんはこんなヤツだが、大魔王らしくスケールのデカいヤツでもあった。
グランゼドーラで王家の若者を討ち取り、アラハギーロを壊滅させた彼らの事績は、それこそバラモスやハーゴンにも劣らない。ゼルドラド元帥みたいな優秀な部下がいればオレだってできるよという声はあるかもしれないが、ゼルドラドのような優秀な部下が忠誠を誓うというだけで、大魔王マデサゴーラは只者ではないだろう。
アストルティア創世記によれば、ゼルドラドがマデサゴーラに心酔したのは、彼の芸術に心を打たれたからだというが、武人ぽいヒトが絵を見て感動したから部下になるとかありえないので、絵を見てマデサゴーラのスケールのデカさに感動したと考えるほうが自然だろう。アストルティアに侵攻するという手段が目的になっちまいがちな魔族の中で、新しいレンダーシアを創造するという目的のために、そのための手段としてアストルティアに侵攻するというのはなかなか思いつけない発想だ。
ちなみに考えてみるといえば、彼が冥王ネルゲルと同時期にアストルティアに侵攻した理由も理解できずにいた。勇者システムのスキをついてアストルティアに生まれたのがネルゲルなのに、大魔王マデサゴーラがやってきたら勇者が生まれてしまうではないか。ネルゲルの存在が500年前から周到に用意されていたことを思えば、マデサゴーラは時期を合わせて侵攻してきたとしか思えないのだが、なんでそんなことをしたのだろうか。
なのだがこれも彼らの目的を考えると合点がいく。冥王ネルゲルの目的はアストルティアにに生きとし生けるものをすべてころしちまうことだ。一方で大魔王マデサゴーラの目的は、新しい世界の創造主になることだから、彼の創造物や彼に従う魔族たちまでみなころしにされたら困る。たぶんマデサゴーラはレンダーシアや五大陸の住民を全滅させた後で、ネルゲルを倒して新しいアストルティアを統べるつもりでいたのだろう。
だとすると問題はやはり主人公の存在で、このドワーフだかエテ公だかよくわからない存在は、冥王ネルゲルを倒しちまった上に、彼の作品を微妙に書き換えながら、いなくなった勇者も見つけ出して、彼の計画をとことん邪魔しようとする。
「そもそもワシの作品を書き換える時点で敵認定」
それまで彼の計画は順調に進んでいたが、勇者が覚醒して彼の部下が倒されて、いよいよマデサゴーラも重い腰を上げないといけなくなる。神の緋石をぶっ壊すのを邪魔された。邪魔したのは勇者とエテマメの二人。勇者に対しては別の手を打っていたマデサゴーラは、エテマメには「彼女が最も恐れているモノ」を用意したとのたまう。なのだが、登場した恐怖の化身とやらはネルゲルめいた姿だった。このときエテマメが頭に浮かべたのは、姉ミムメモの姿だったから正直拍子抜けだった。
このときの疑問は後に、悠久の回廊ほかあちこちを巡って確信に変わる。マデサゴーラには二つの能力がある。それはヒトの記憶を見る力と、モノを創り出す力だ。本人すら忘れていそうな心の奥底の記憶を見て、それを精緻な技で創り出す。これはかなりスペシャルな能力で、いささか趣味が悪いところはあるが、そこはまあ趣味嗜好の違いといえば納得できる。
だが、なまじ記憶が見えるせいか、彼はヒトの心を理解しない。というか、彼の趣味嗜好で理解したつもりになってしまう。エテマメだったら自分をころした姿を恐怖するだろうと考えて、それを克服している可能性を思いもしない。カジノで大当たりし続けるのが楽しい。知り合いが自分にかしずくのが嬉しい。挫折とか挑戦とか克服とか、彼には理解できないのだ。
たとえば某所で見せられる、エテマメにかしずく男たちの姿とか、リクオマスター以外は本人と似ても似つかぬ言動に違和感しか覚えなかった。でもリクオマスターだけは、実は本人でしたと言われても納得する。
このあたり、スケールはデカいが人間としてはちょっと小さいマデサゴーラさんらしい。だが人間なんてものは、その小さいところがあるからこそ愛らしい。