マメミム調べで世界にはじめて現れた大魔王の起源をさかのぼると「大魔王シャザーン」にいきつくが、まだVer4これからですという知識でマデっさんこと大魔王マデサゴーラにあらためて思いを馳せる。
なんか違和感がある存在だった。
マメミムが恐れてる相手とかいって冥王ネルゲルぽい姿を出してきたけど、いや確かにネルゲルは自分をころしたけどこわくはない。魔剣士クエストみたいにエテ村のひとたちに襲われたほうがはるかにショックだよと思う。ラストダンジョンの精神攻撃で、リクオマスターの登場は衝撃だったけどむしろ「アンちゃんの記憶」で彼女これ見たら歩みを止めるどころか勇気が出るだろと思う。ひとの記憶を見ることができるのに、ひとの心を知る感性は持ってない。
そんなマデっさんだがスケールのでかさは大魔王にふさわしい。アストルティアを攻めることが目的ではなく、新世界の創造主になるために勇者を討ち神の緋石を破壊する、そのための手段としてグランゼドーラとアラハギーロに兵を進めるとかすごいよね。壮大な計画のために緻密な作戦を立てるなんて常人にできることじゃない。
これは大魔王マデっさんがゼルドラド元帥を従えたから、あるいはゼルドラドがマデっさんに従ったからできたことだと思う。アラハギーロ軍を壊滅させて、グランゼドーラで勇者を討伐したゼルドラドの実力ははんぱない。たぶんゼルドラドだったらすごく立派な?大魔王になれただろう。だけど彼が支配する軍勢はアストルティアに攻めてくるすげー強い魔王軍にしかなりそうにない。
ゼルドラドがマデっさんに心酔したのもわかる。大魔王をこころざす彼の前に、自分は創造主にもなってみせると言ってのけるやつが現れたら、そのスケールのでかさにびびってたじろぐしかない。そしてゼルドラドにはマデっさんの壮大な計画を実現できるチカラがある。三国志で有名な諸葛亮や関羽は一国の主にもなれる才人だったけど、遊び人で知られる劉備のスケールのでかさに従った。
マデっさんが手に入れた創世のカケラはまだぜんぜん足りなかったから、レンダーシアを創造したらナドラガンドで霊核を手に入れるつもりでいた。それまでネルゲルに五大陸を抑えさせる。いずれことが成就すれば新世界の創造主マデサゴーラと、生あるものすべてを滅ぼすネルゲルが雌雄を決する戦いが訪れる。それが彼らの考えていたシナリオだ。
ここまでがこれまでのマメ考察。
天界や天使のシナリオがはじまったそうで、思い出したのは破界篇に登場した二人のことだ。天使とか天空人がろくでもないのはドラクエ世界の伝統?だが、干渉してくるくせに責任感がないとか傍観者のくせに偉そうな連中には頼らずに、人間がなかまと一緒に自分たちの手で世界を救うのがドラクエだ。もちろんポピンプ(プクリポ)たち五種族その他を含めて人間だ。
クリアしたひとにはご存知の通り、破界篇には滅びの剣の魔勇者と護りの盾のクマリスさんが登場する。もとは同じ魔勇者アンルシアから、強い力を求める渇望と勇者を目指す志がそれぞれ具現化された存在だ。滅びの剣が力なきものを見下すのも、護りの盾が世界を守るために覚醒するのも、どちらもひとの多面性のひとつであって彼らは異なる存在じゃない。だけど世界を守りたい心のほうが、ほんのちょっぴり強かった。
ではマデっさんはどうだったか。滅びの手として現れたマデサゴーラは、未完の作品を壊してしまえという考えしか持っていない。失敗作をぜんぶ燃やしたいというのは芸術家らしい彼の一面だが、芸術家というなら創造者としてのマデサゴーラの一面が滅びの手にはカケラもない。たぶん滅びの手マデサゴーラに創世の霊核を渡しても、しなびたりんごひとつ生み出されることはない。
ほんとうは、ハーゴンの審判における「護りの手」はマメミムではなくマデサゴーラのもう一面に任せるべきだった。それをしなかったのはファビなんとかが手を抜いたのか、メドなんとかが何も考えていなかったのか、たぶん両方じゃないかと思う。審判の性質と目的を考えるなら、偽世界の出身でない(よね?)マメミムが護りの手に選ばれるのがそもそもおかしいのだ。
もしも創造主としてのマデサゴーラが具現化したら、それはどのような存在か。それはゼルドラドが心酔した大魔王の姿かもしれない。そのときは世界を滅ぼす破壊神を止めるために、偽世界のリクオマスターたちが集まって力を尽くしたかもしれない。マメミムは世界を守る存在の姿を知ることもなく、なかまたちと手を携えてシドーに挑んだかもしれない。
そんなシナリオがあったかなあと考える。
ひとつでも、ひとつでも、たくさんのことを体験しておくといいと思う。