軍勢を率いる知性と洞察力。書かれていた魔界文字を思い出す。開かれた大審門、試練を越えた先にある壁画には選定の儀と大魔王とは何であるかが書かれていた。そして艱難辛苦の後にデモンマウンテンを登り終えて、選定の儀で大魔王「になれる可能性がある」と認められるには、どうやら三つの条件をクリアする必要があったことも知れた。
ひとつはデモンマウンテンの試練を乗り越えること。
ひとつは魔仙卿に認められること。
ひとつは闇の根源と接触して生還すること。
未熟な三人の魔王、ヴァレリアとアスバルとユシュカに何が足りなかったかも知れる。彼らは試練を乗り越えることができたし、たぶん闇の根源と接触して生き残る力も持っていた。だけどジャディンの園で見せた彼らの振る舞いは、こんな連中を大魔王にはできぬと言わせるには十分だった。
あれは「彼らが魔界の弱小勢力にどう振る舞うか」の姿だ。未熟なままのヴァレリアやアスバルやユシュカが大魔王になれば、闇の根源のチカラでアストルティアも魔界も滅ぼすおそろしい怪物になってしまう。こいつならマシかもしれぬと思わせたユシュカすら、王をころした血まみれの手で協調しろと握手を求めてくる。
そして思う。
過去の大魔王は選定の儀を果たすことができた。マデサゴーラだったらジャディンの園で満足する回答を与えることができたろう。彼のことだから意外とおっちょこちょいかもしれないけれど、それでも未熟な魔王たちよりずっと大魔王にふさわしい。ヴァレリアはごうけつになれず、アスバルはずのうめいせきになれず、ユシュカはロマンチストになれなかった。
だからといって魔界にほかの候補がいたかといえば、目端の利くベルトロや国を憂うエルガドーラも闇の根源との接触に耐えられないようには思う。たぶんナジーンだったら選ばれるし、ふさわしい実力も持ってそうだから、ユシュカが拗ねるだろうけど彼が大魔王に名乗りをあげればよかったのにと思うのだ。
どうせ魔仙卿の言葉にユシュカ拗ねてたから!
ヴァレリアは優しすぎて、魔王ネロドスのように恐怖で配下を縛ることができずにいる。ネロドスの配下は命を捨てて主君に従うけれど、バルディスタの兵は主君の目が届かないところで好き勝手に振る舞うだろう。アスバルは冥王ネルゲルのように、生あるものすべてを滅ぼす平穏など望んでいない。自分がありたい支配者の姿を描けていないのに、自分が演じている魔王が滅亡しかもたらさないことは知っている。
あれ、と思う。
大魔王マデサゴーラに従った魔元帥ゼルドラドは、もしも彼が大魔王ならすごくまっとうな大魔王として勇者に立ちはだかったと思わせるほどの傑物だった。でも魔王ユシュカに従う副官ナジーンの姿を重ねてみても、君臣として彼らは遜色ない。じゃあ魔王ユシュカはマデサゴーラに比べていったい何が足りないのか。
芸術家とか宝石商とか、軍政にほど遠い世界にいた彼らが魔界をなんとかしようと思い、その志に多くのものが従った。ユシュカに知ってほしいのは「英雄はすべてを救う」ラスカとザンクローネの魂だと思ってる。マデサゴーラは彼の世界を創造するときにザンクローネ物語を選んでる。悲劇好みのマデサゴーラは未完の物語を選びながら、ザンクローネが英雄だということは知っていた。
彼らは未熟だ。未熟は罪じゃない。だけど魔王である彼らの未熟は、彼らの国と彼らのたいせつなものに悲劇をもたらすだろう。これは予言でもなんでもない。優しいヴァレリアの未熟が孤児院の悲劇をもたらしたと同じことが、たぶんアスバルにもユシュカにも起こるだろう。それが見えるのがたまらない。彼らがいいやつだからといって、彼らに悲劇が待っているのを見せられるのがたまらない。
お前ら成長しろよと思うのは、わがままな望みだろうか。
よくできた悲劇を見せられるくらいなら、キュルルが書いた陳腐な夢オチのほうがよほどいい。彼らが取り返しのつかないものを失って後悔する前に気づいてくれたらいい。それはむつかしいことじゃない。クエストという名前であちこちに転がっている、困ってるひとたちの声に耳をかたむけて「はい」と答えるだけでいい。そうすれば彼らだってプクレット名誉審査員になれる。大魔王にだってなれたかもしれない。だけどジャディンの園で、彼らはクエストすら受けなかったのだ。
魔仙卿の正体もだいたい知れる。なんて物語がこれから待っているんだよと思い、でもほおっておくことはできそうにない。マメミムはラスカとザンクローネに続く「永遠の三番手」なのだから。