もしも魔仙卿が某ランプ錬金ギルドマスターだったら、ザンネーン!魔王チャンたちみんなふさわしくありませーん!とか言われただろうカレオツな結末に終わった大魔王選定の儀。とりあえず闇の根源と接触させられたマメミムの前に現れたのはイルーシャという娘さんだった。で、魔瘴を浄化するチカラを持つ彼女と各地をめぐっていたら、神殿に某国からのシシャドノがやってくる。
助けてくだされと頭を下げて、国を挙げてイルーシャを迎える魔幻都市ゴーラ。かつてマデサゴーラが築いた国で、大魔王が遠征した後に魔瘴に閉ざされると人々は宮殿に難を逃れるしかなかったらしい。訪れた関所の向こうに広がっていたのは、フィールドマップひとつがまるまる町になってる巨大な遺構だった。地盤が崩れて崩落するまでは、アストルティアと比べてもこれだけ巨大な都市はないという大都市だ。
逃げ延びた人々が暮らす宮殿は、それ自体がキィンベルにも勝る機能的な都市になっている。それが技術ではなく社会によって維持されている。街中にごみ箱が置かれている。広場では市場が営まれている。モンスターも魔族も分け隔てなく住民として暮らしている。これ以上にまともな社会は、子供たちのセレドくらいしか思い浮かばないくらいまともな国だ。
「ぺぺろさんじょう!(魔界文字)」
王のなかの王マデサゴーラのひまごならぬ孫ペペロゴーラに迎えられるけど、世界を創造する芸術家マデっさんが壮大すぎるだけで彼もなかなか大物だ。落書きを叱られることは、芸術作品がらくがきとして認識されたことだと気づく視点がある。そしてこのペペロくんに、ゴーラの人々もモンスターもおせじではなく叱りつけたり文句を言う。
弱いものを虐げて生き残るバルディスタや、階級を決して超えることができないゼクレスや、巨大なスラムが広がるファラザードとは違うまっとうな社会がある。これまで訪れた三国がだめすぎるだけで、マメミムが思った「魔界だめだなあ」という感想がまちがいだったと気づかされる。
三魔王が統治する国がだめなだけじゃん!
大魔王マデサゴーラとゼルドラド元帥がいなくても、ゴーラの人々は社会を維持して助け合いながら生きている。必要もない虚栄心なんか持たず、ひとに助けを乞うことができる。魔瘴に襲われたから助けてくださいと言える者は、魔瘴に襲われたから侵略すると言える者よりも強いのだ。
さてペペロくん。
大魔王の孫だからというのではなく、その気になればスプレー缶を手にしてドラゴン相手に一騎討ちできる彼が弱いはずもない。芸術家としてのスケールが祖父に譲ることを認めているのは、偉大な先人を持った苦労を思わせるが客観視ができる視野の広さととることもできる。ヌブロ長老はもとより町のひとびとやモンスターが平気で彼に文句を言えるのは、ペペロくんが恐れられずに慕われているということだ。
そして何よりも、彼はたぶん芸術に関してだけは譲らないが、それ以外は人の話を聞く寛容さがある。イルーシャに言われて名前で呼ぶようになったのもそうだけど、ペペロくんと呼ばれることを受け入れる寛容さもある。三魔王が誰ひとり持っていない資質を、そんなつもりはカケラもなさそうな彼が持っているのはペペロくんが気の毒なのではない。ペペロくんが持つことのできる資質を持てない三魔王が気の毒なのだ。
言ってもせんないけど、ゴーラが魔瘴に襲われずに健在なら、この国が魔界を治めていればもっとマシな未来が待っていたと思わされる。アストルティアのためじゃない。魔界にとってマシな未来が待っていたと思わされる。人に頭を下げることができて、人の話を聞くことができる者が治めるまっとうな国だ。
頼まれて、奔走して、いっしょにクエストを解決する。
魔瘴に覆われていたゴーラの空が明るくなる。そこにやってきたのは、人に頭を下げることのできないヴァレリアと、人の話を聞くことができないユシュカたちだった。話を聞いて、ゼクレスとファラザードが手を組んで一番弱いバルディスタを倒そうとしていることも、そのあとお互いに寝首をかこうとしている絵も見えてくる。目端の利くベルトロが「オレ生き残れっかな」とぼやいている。
これから魔界大戦が起こる。どんだけ多くの兵士たちが、だめな三魔王のせいでむだじにするんだろうねと思わされてゆううつになる。魔瘴のせいでも闇の根源のせいでもない。ヴァレリアやアスバルやユシュカのせいでこれからひとがたくさんしぬ。
モモリオンのクエストを受けることもできないなら、自分の国で困っているひとのクエストを受けることもできないなら、通りすがりのマメミムにクエストを依頼することもできないんだろうと思うけど、どこかの誰かが言ってた「おひとよしでおせっかい」なマメミムは付き合って見届けることになるのだろう。