ゼクレス魔導国を一身で支えたエルガドーラには、魔王アスバルを傀儡にする以外の選択肢はない。もし彼女が血も涙もない為政者なら、有力貴族の娘をアスバルに嫁がせて、世継ぎができたところでアスバルをあんさつして新しく貴族の息子を婿養子に招けばいい。王の血統を絶やさず2つの貴族を味方に引き入れることもできて、ゼクレスは盤石だ。
ばか王子に世継ぎをもうけさせたらころしてしまう。
古典的な方法だから、ゼクレスに事例として残ってないわけがないし、エルガドーラが考えなかったはずもない。だけど彼女は我が子をころすくらいなら自分が毒親になると考えた。そうでなければ、彼女が我が身が果てるまで魔人アスバルに魔力を注ぎつづけた理由を説明できぬ。
オジャロスはたまたま魔王アスバルの叔父になれる家に生まれたというだけで、佞臣とか酷吏に類する典型的な人物だ。すべてではないけど彼の言動には特徴がある。ひとあたりよく見えて「いまここにいない誰かのわるくちを会話にすべりこませてくる」ことだ。
魔導の才もなければ統治の才もないけれど、誰かの足をひっぱることにかけては無自覚の才能を発揮する。もしもオジャロスがバルディスタに生を受けていたら、さぞやおぞましい活躍をしたことだろう。彼の才覚だったら、ヴァレリアの不興を買うことなくヴァレリアが嫌いそうな相手を陥れることなんて造作もない。
リンベリィは男性の趣味が悪い(個人的偏見)ところがあるけど人物鑑定眼にすぐれていて、気まぐれに見えて大貴族には得難い鷹揚さと寛容さを持っている。無精髭と毛皮のベスト姿でやってきた他国の使者を相手にして、素材はよいと自邸に招くとかできることではない。
アスバルが自分を子供扱いすることに不平を漏らし、オジャロスには当初から弾劾せんばかりの勢いで、主人公に限らず他人を使うことに慣れている。リンベリィが不機嫌になると家人たちが息をひそめたようになるのは、べつに理不尽に処断されるわけでもなく、たんに彼女の愚痴にえんえんと付き合わされるのが疲れるからだろう(断言)。
大戦でゼクレスは指導者エルガドーラを失った。バルディア山岳地帯の決戦には捨て駒を投入しただけだから、兵士の損害は怒りくるったヴァレリアとシシカバブの陽動作戦によるものがほとんどだ。あとはマメミムにころされた地下通路の衛兵たちがいて、城で見つけた戦死者リストに彼らの名前もあるんだろうなと思うと、いたたまれない気分になる。
このばかな戦いを防げなかったのかなあと、あいかわらず気が重くなる。
この状況で、国を鎮めたのはオジャロスだ。これはむつかしいことじゃない。復興に忙しい他国に向けて、あれはエルガドーラがしでかしたことでと言い訳する。動揺する貴族や民衆に向けて、あいかわらずアスバルが頼りないけど頑張ろうと説いてまわる。そうしてアスバル自身には、いまは自分に任せなさいとやさしげにふるまうだけでいい。
ゼクレスの統治なんかしたくないアスバルは、母の死を悼む君がゼクレスの統治なんかしなくていいと言われてよろこんで飛びついた。マメミムはいつものようにおつかいを頼まれただけだから、オジャロスの危険性を疑わずに身辺を調べたのはリンベリィの識見だ。彼女は男性の趣味が悪い(個人的偏見)けど、人を見る目は信用できる。
オジャロスの野心が「ゼクレスの王になること」ならたぶん許された。だけど彼の目的は彼らしく「エルガドーラとアスバルを陥れること」だから、実のところゼクレスがどうなろうと彼は気にしなかったろう。これは賭けてもいいけれど、大戦でファラザードが唯一の勝者になっていたら彼は迷わずゼクレスを捨ててユシュカに臣下の礼を誓ったはずだ。
陰謀家オジャロスを断罪するために、アスバルは陰謀で対抗して処断した。わずかでも母と邂逅することができたのは、少なくともエルガドーラには幸いだったろう。彼女はアスバルをころさずにすむならなんでもした。たぶん自分のしたことが正しいなんて微塵も思ってないけれど、夫への愛と息子への愛を貫くことができた。夫や息子が彼女を理解するかどうかは彼女はあまり考えないことにした。
「母が愛したゼクレスを守ることを誓う」
復興をめざすゼクレスの魔王たることを誓ったアスバルの言葉を聞いて、ああこいつはなんもわかってないなあと思う。ゼクレスよりも息子を愛して毒親になることも辞さなかったエルガドーラのために、せいぜい君は頑張りなさいと励ますことにする。
マメミムがころしてまわったバルディスタやゼクレスの兵士たちは、ばかな戦争の犠牲になったけどむだじにではなかったよと言いたいから、マメミムが魔界の復興に携わらない理由はない。何のためにというなら、バルディスタの墓標やゼクレスの戦死者リストに頭を下げられるようにふるまいたいからだ。