たぶんみんなが思ってるよりもずっとウェナ諸島は貧しい土地だ。600年のむかしにはこの貧しい土地をめぐって二つの国が争ったけど、始源の歌姫リナーシェの代にジュレドとコルレーンの両国は統合されてヴェリナードが興された。彼女が作った育みの歌はいまも国に恵みを与えていて、それでもレーンには孤児院があるしジュレットではソーミャが暮らしている。
英雄ヴィゴレーに率いられて戦えば勝つけど国土はどんどん弱っていくジュレド王国と、女王リナーシェが登場して防戦一方だけどいくらでも籠城できるコルレーン王国の争いは、これ以上はどちらも共倒れになる!と理解したところでおたがいが手を結ぶことに合意した。家族をだいじにするウェディで、おたがいが家族のかたきになってる両国だから、王と女王が範を示して結婚に同意した。
歌姫の絶望。
疲弊したふたつの国が矛をおさめてからの姿をリナーシェの視点で見ることができる。かよわい彼女はヴィゴレーを剣で倒すことはできないけど、歌と話術で凌駕することはできる。だけど彼女がヴィゴレーを恐れている以上に、ヴィゴレーがリナーシェを恐れていることには気づくことができなかった。
戦うことしかできないヴィゴレーは、武勲を立てることでいまだ健在な父から王位を譲られた。たぶん若くて人望のある弟カルーモと国を割るわけにはいかぬと、前王が自ら認めてのことだ。もしも兄と弟の年齢が逆だったら、穏やかな王とすぐれた将軍の関係になれたかもしれぬ。
勝てども勝てどもコルレーンは粘りつづけてジュレドは疲弊する。これ以上は無理だと剣をおさめたヴィゴレーは、対立する民に範を示してリナーシェとの結婚を受け入れたけど、育みの歌を操り話術で家臣を籠絡していく彼女の姿はときとしておそろしい魔女にも見えたろう。戦うことしか知らぬ彼にリナーシェを剣で倒すことはできないのだ。
彼らは互いに政略結婚だからとふるまいながら、互いにこいつはもしかしていいやつではないかと思うようになる。そうでなければ民に慕われているわけがない。自分たちのあいだにも愛情は存在するのではないか。新しいヴェリナードの城が完成して、肩を組む工夫たちの姿が自分たちの未来に見えたことだろう。
その日、彼らはまちがいを犯した。
リナーシェはヴィゴレーが自分を暗殺できる機会を作ってしまった。ヴィゴレーはその機会を見逃すことができずリナーシェを剣で貫いてしまった。悪いのは剣を抜いたヴィゴレーだけど、リナーシェが最後まで仮面の夫婦を演じ続けていればこの破局はおとずれなかったはずだ。話術で男を手玉にとれると思い込んでいる彼女は、自分がいいひとすぎてそれができないということに気づかない。
悪事をなしたヴィゴレーに後戻りする道はない。邪悪な王になろうとしてできるわけもなく、弟に幽閉されるとすべてを受け入れて歴史から姿を消すしかなかった。彼は安堵したことだろう。やはり悪は滅びるのだと。ヴィゴレー派のほとんどは逃げ出してくれたけど、どうしようもない少数のばかものたちは主人とともに幽閉された。
これが歌姫の絶望だ。愚かな王の話はどこにも描かれてはいない。
彼女が陰謀家として生きるなら、死のまぎわまで自分を暗殺できる隙なんてつくるべきじゃなかった。生涯を仮面夫婦として過ごしてから、数十年を過ぎてほんとうは私たちのあいだにも愛があったのですねと確かめればよかったはずだ。自由な恋愛を許してもらえなかった王族など歴史にはいくらでもいるのだから、彼女を愛していたかもしれぬ男に、まちがいを起こさせるべきではなかった。陰謀家の彼女にそれができなかったはずはない。
彼女がほんとうはいいひとであるリナーシェとして生きるなら、妹をみならってせめてヴィゴレーにだけはありのままの自分を伝えるべきだった。父をだましうちにしたあなたを許すことはできない。だけど民や妹のためにあなたを愛さなければならないと。そうすればヴィゴレーはどれほどの機会があったとしても、彼女を手にかけることはできなかったろう。
彼らはふたりともよく似ている。彼らの結末は悲劇だったけどヴィゴレーを断罪する気にはなれない。うまくやる方法はいくらでもあったろう。それでもリナーシェとヴィゴレーが争いを鎮めてヴェリナードの礎を築いた事実が消えるわけではないし、思いのままに突っ走る王子オーディスは、国を治めて家族も守ってみせろという完全無欠の父の要求に応えようとしている。
羽つきどもがしたことといえば、彼らを悪神よばわりしているくらいのものだ。
三闘士には国のその後を伝えたくせに、リナーシェには国のその後を伝えることすらしていない。