しんでから天国にも地獄にも行くことなく苛まれるものは煉獄にとどまる。それはいずれタマシイが浄化されて天にのぼるための場所だけど、アルドラのように愛するものを煉獄で待ちつづけた例もある。愛するものと行くべき場所に赴くことを許されなかったという点では、世界樹にしばりつけられたヒメア様もけっしてのぞましい境遇ではなかったろう。二度と私のようなものをださぬように、とは彼女の願いだった。
かつて災厄の王が訪れた6000年前、人々は敗れて世界は滅亡した。
時の王者として災厄の王に挑んだハクオウは一人で戦ったわけではないけれど、戦いでなかまが傷つくのに耐えられない彼は一人で戦おうとしてしまう。いかに効率よく味方をころすかという戦い、それがハクオウにはできなかった。それは彼が優しかったからでも強かったからでも傲慢だったからでもない。これだけは確信がある。ハクオウは「自分だったら傷ついてもしんでも惜しくないし誰も悲しまない」と思っていただけだ。
ヤマカミヌの王もひとびともハクオウとともに戦った。ハクオウが一人で戦い負けたと伝えられるのは、なかまの犠牲をおそれてチカラを発揮できなかった彼が、一人になっても最後まで戦って負けたということだ。兵士たちが倒れて、王コウリンが倒れて、最後に一人残った彼も災厄の王に挑んで帰らぬひととなる。未来から来た友人プクラスがゴフェル計画を発動させて、世界はほろびたけれど五種族の生き残りが避難することはできた。
ハクオウには後悔があったろう。
ヤマカミヌ最強の剣士ともてはやされたのに、結局は国もなかまも友人も守れなかった自分を許せない思いがあったにちがいない。さまよえる彼のタマシイは羽つきにとらわれると、そのまま6000年天空の檻に閉じ込められて天国にも地獄にも行けなくなった。すまない、ごめん、申し訳ない、ハクオウはひたすらそれだけを考えていたのではないか。
さいごまで我が身を賭して、いっしょに戦ったハクオウを責めるものも恨むものもヤマカミヌにはいない。ミスしたら終わりとか誰が戦犯とか席がありませんねとか言いだすヨワムシは戦場にはいない。オレたちは勝てる、なぜならばオレたちは負けないからだと最後まであきらめず、それでも勝てなかったら泣くか笑えばいい。それが戦いというものだ。うつむくハクオウにコウリンは言うだろう、最後までよく戦ってくれた、さすがハクオウだと。
羽つきはその機会をハクオウから奪った。
もともと根暗だった彼がひきこもりの性格になったのもむべなることだ。檻の中で6000年も後悔をつづけてきて、いざ英雄として招かれたら審判のサイコ羽つきに古傷をえぐられる。これだけの扱いを受けてきて、呪炎に侵された彼が望んだことは「こんなに悲しいならいっそ災厄の王にすべて滅ぼされればよかった」だから、ハクオウがいいやつなのはわかるけど根暗のひきこもりという事実は否定できそうにない。神獣コウリンがマメミムの影響でまともに育つはずはないから、ダメなパパをわからずやと叱責した彼のまっすぐさはハクオウの影響だ。
呪炎の火種は魔瘴とおなじく負の感情を暴走させる。それでもラダ・ガートは羽つきではなく天星郷を滅ぼそうと言った。三闘士は怒りとかなしみのままにカルサドラを噴火させようとした。ハクオウは子供たちに説得されると災厄の王を討ってみずから呪いを断つことさえ受け入れた。やはりこいつもたいしたやつなのだなあと思う。
彼らを「悪」と呼ぶのは天上の世界で傲慢に支配された羽つき生物たちだけだ。
貴様らに問う。煉獄はいずこにありや。