マデサゴーラという不世出の芸術家にはふたつの要素がある。ひとつは女神ルティアナが創生したアストルティアという世界への怒り、ひとつはそこに生きる人間たちの内面と感情の追求、ひとつは引き離された家族への悲哀、つまりみっつだ。大魔王になったマデはアストルティアに侵攻しようとしたけれど、光の河をわたってさあ勇者よ待っておれといきりたったところに落ちていた創生のカケラが目についた。ちいさな破片をこねくりまわすとレンダーシアとそこに住まういきものたちをつくることができた。
「運命は余に創造主になれというのか!」
マデはそう考えたにちがいない。彼が最初につくった創生人間はたんなるレコーダーだったけど、もう少していねいにつくっても性格のわるい赤子にしかならなかった。マデはひとりの芸術家を見出した。パンパニーニというその男が書いた作品は未完のままだったけど、立ち入ることもできぬ地下水道を描いてみせた知識と筆致、生き生きと暮らす村人たちの描写、それでいて紙芝居にもなりそうな作風が楽しく描かれていた。これは余のレンダーシアを飾るにふさわしい。ザンクローネ物語の世界が産み落とされた。
筆なかばにして生を終えていたパンパニーニは、この作品を英雄が魔女を倒してハッピーエンドにするつもりでいたらしい。英雄が魔女に倒されたところで未完になっていたことが大魔王の気に入ったのだろうと、彼は言ってたけれどそれはないだろう。マデが作品に求めたのは生命のあがきと苦悩と葛藤だ。この理不尽な世界であがいてみせろ。マデサゴーラはザンクローネ物語のその先を見たかったにちがいない。
パンパニーニの未完の物語は孫娘のアイリが引き継いだ。彼女はこれを書き上げる前に結末をどうすべきかスランプに陥ると、祖父の他愛のないメモを読んでパンパニーニがザンクローネになにを望んでいたかを見つけることができた。それはごく短いことば。
「英雄はすべてを救う」
ザンクローネがラスカに教えたことば。ラスカがアンルシアに教えたことば。村人も英雄も、魔女すらもふてぶてしく助けてみせる。なぜならば彼らは英雄なのだから。たとえすべての麦が倒れ、水が干上がり涙が枯れても、お前の声が枯れないかぎり救いは必ず訪れる。俺は必ず駆けつける。パンパニーニには描くことができなかった結末をアイリは完結させた。祖父の望みを叶えてみせた、英雄がすべてを救ってみせる物語。
アイリの物語をマデサゴーラはどう思ったろうか。歓喜にふるえておる!とでも叫んで涙をながしたのではないか。彼は女神ルティアナが創生した理不尽な世界に憎しみすら抱いていたけれど、人間が生きることにあがいてみせる姿には愛情すら抱くロマンチストでもあった。
「おまえの孫はお前よりもよほど才能がある」
マメミムならばパンパニーニに言うだろう。それはそれでパンパニーニも喜ぶかもしれぬ。マデ自身がパンパニーニの作品を剽窃したのだから、自分の作品を他人が美しくしあげたことにはそれほど疑問を抱かぬかもしれぬ。偉大な芸術家の作品を弟子が完成させた例もある。小娘よ、貴様を余の弟子にしてやってもよい。マデならば尊大な調子でそんなことを言うかもしれぬ。
これはマデサゴーラではなくマメミムの妄想だ。
パンパニーニを超える天才作家アイリが未来を描くというならば、メルサンディからローヌ樹林帯を越えた先にある小さな町で起きた悲劇を見て、レンダーシアに生きている子供たちの未来を描いてくれないか。
彼らが偽世界から真世界への道を歩くことはたぶんない。だけど道があることに気づいた誰かが、真世界から偽世界への道をたどってセレドをめざすことはあるかもしれぬ。それはトゥーラの音色を取り戻したセリクかもしれないし、大人になって旅に出ることを決意したルコリアかもしれないし、施療院から出ることを許されたティタかもしれぬ。
彼らを迎える物語を描いてほしい。頼まれれば「はい」としか答えないマメミムが、そのときは頼まれなくても彼らの歩みを護らせてくれと願うだろう。彼らの旅の先にあるものがなにであったとしても、それを見届けるためにマメミムが労を惜しむことはないだろう。
ひとつだけ忘れていた。
マデサゴーラに劣らずマメミムもたいがいなロマンチストではあった。