しんかの秘法。ヒトでも動物でも魔物でも、もっとつよいチカラをもつなにかに変質させる邪法のことで、アストルティアでは錬金術師バルザックが求めた禁忌の術だ。おうごんのうでわと乙女のたましいを使えばさらにつよいチカラを得ることができるといって、死してなおそれらを求めた彼の執念は、旅の錬金術師夫妻の手で断念させられることになる。
空に浮かぶ羽つき生物どもの地で、創生人間をカミサマに変質させる術をしんかの儀と呼んだのを聞いて、マメミムの頭にまず浮かんだのがこの邪法の存在だった。ハーゴンの審判すら開催した連中だから、錬金術師バルザックが求めたしんかの秘法と、羽つきどものしんかの儀に関係がないと思うのはむつかしい。
天空に浮かぶ禁忌の巣窟フォーリオン。
もちろん悪意あふれる表現だけど、あれはてた遺構を女神の源泉や旧世界の被害者ごとフタをして封じたり、旧世界の情報を保管した源世庫が使いかたもわからぬまま暴走していたり、神話時代の記録も記憶も残されてはおらず、つごうの悪い研究をしていた「楔」は隠して忘れさられていた。
神話に描かれて曰く、女神ルティアナは果実を用いて天使をうみだしたとされている。旧世界では果実のチカラで天使をヒトにすることもできたから、果実とは神様がいきものに創生のチカラを与えて変質させる方法なのだろう。であれば炉や釜を使う方法は、神ならぬものが神に似たことをやってみせるための技術や設備にちがいない。望んだものをつくるには設計図が必要だけど、天才芸術家マデサゴーラは炉や釜ではなく神様のカケラを用いることで、彼の感性のままに勇者すら創生してみせた。
楔の奥の部屋に残されていた設備。
足を踏み入れたミレリーの言葉からもおよその事情が知れる。いつの頃かはわからないし全容もまだ知られてないが、女神が遺した果実そのものを変質させればそれを用いたものを「しんか」させることができるのではないか。そう考えた羽つきたちは、その方法で彼ら自身を変質させた。
人間はつまらない存在であり、神に愛される価値などない。人間を愛する一方で、天使こそが高慢で無知蒙昧な存在だと悟る。人間も天使も兵器の実験対象でしかない。ヒトの弱さ儚さを嘆き、愛するものを不幸にした自らの罪を悔やむ。理想に傾倒して自ら咎人となる道を選ぶ。これまで明かされている深淵の咎人たちを見て、彼らが羽つきから生まれた存在であることがわかる。
彼らにも言い分はあったろう。天使と称される羽つき生物どもは、成層圏のさらに空にある過酷な世界で生きるために、まともとは言い難い恒常性維持機能を手に入れた。それと引き換えに彼らは成長することも変化することもないできそこないの存在になる。壊れてももとに戻るし、切った髪の毛すら復元する。たぶん脳に書き込まれた知識や記憶すらも復元されて薄れちまう。だから彼らは学習能力がないとは言わぬが極めてよわい。
つごうの悪いものにフタをして伝えることをせず、転生を繰り返すたびに過去の記憶は失われて成長も変化もすることがない。このままではいずれ我らはゆるやかに滅ぶだろう。そう考えた彼らは咎人とされても自らを「しんか」させる禁忌の術に手を染めた。道を踏み外したものたちは封じられると光の河に閉じ込められて、数千年数万年をかけて浄化されればよいとそのまま忘れさられてしまう。
真実はいずれ知ることになるだろう。
だけど気になったことはある。
ならば錬金術師バルザックが求めた禁忌の術、しんかの秘法とは天空に隠された咎人の術だったのではないか。ヒトでも動物でも魔物でも、もっとつよいチカラをもつなにかに変質させる邪法。果実ではなく光炉でもなく錬金の術を用いて、自らを神にも等しくすることを望んだのかもしれぬ。彼の手記が残された不思議の魔塔は天空をめざしてそびえたち、封じられた鍵を解くものは錬金釜めいた姿をしている。
あるいは逆かもしれぬ。はじまりの錬金術師ユマテルは、あるいは最初の咎人となったものは彼らの術をどこから手に入れたのか。時渡りの術がアストルティアの外からきた技であったように、錬金術と天星郷がどこかで交わった時が存在したのではないか。
時渡りだって錬金術だって人の手にはあまるチカラだろう。
だけど忘れてはいけない。どんなチカラであれ、それにふりまわされてよい理由はない。時渡りや錬金術を身につけたおせっかいのおひとよしが、世界だって救えることをこの世界のひとたちは知っているはずなのだから。