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とある占い師はかく語りき(スマートフォンでも閲覧可能です。)
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アストルティアの闇03からの続きです。
さて、このAさんをどう導くことが私の役目なのでしょうか。
占いの結果次第というのもありますが、占う前にいつもこれを自問自答しています。やはり、私のモットーは相談者をより良い未来に導くことだからです。それに、これは誰も信じてくれないのですが、占いの結果というのは占う前に決まっていて、占う前に私がこうなると思った結果がそのまま占いに出てしまうからです。
Aさんの要望どおり、Bさんと再び付き合えるとAさんに言うことがAさんにとって良いのでしょうか。もし、それをAさんに私が言ったら、その瞬間Aさんは喜ぶと思います。しかし、現実は残酷でその結果が占いに出ることはないでしょう。つまり、占いの結果もBさんと付き合える見込みがないということです。
そのような場合、占う前に必ずAさんにかける言葉があります。それは、「占いの結果が「諦めろ」と出たら、あなたはBさんのことを諦めますか。」という言葉です。
「はい諦めます」と言ってくれると、私はすごく気が楽になります。なぜなら、Bとのやり直しを「諦め」て新しいスタートをするというのが、一番Aさんにとって良い選択肢だからです。それはBさんにとっても、そしてアストルティアにとってもです。
ただし、このAさんの場合は気が抜けません。なぜなら、この場では諦めてくれるかもしれないけれども、時間がたつにつれて諦めきれなくなってくる可能性が高いからです。そう、別れを切り出したときと同じことが、Bさんだけでなく、この私にまで起こる可能性が高いからです。いわゆる「諦めた詐欺」です。
「詐欺」という言葉を使いましたが正確にいえば「詐欺」ではありません。その瞬間はあきらめていたけれども気持ちが変化することは当然考えられます。
人が好きになるかどうかというのは、理屈ではなくて気持ちだからです。気持ちというのはその人個人の内面であって、他の人がどうこうできる代物ではありません。常に移り変わるものです。どんなにかっこよくて、すぐれた男がいたとしても、その人を好きになるかは女の人の気持ち次第なのです。気持ちというものはそういうものです。
気持ちは、個人の内面であるから、どんな気持ちになろうがその個人の勝手です。個人の内面、そう想像の世界でどんな妄想をしてもそれを咎められることはありません。自由です。
しかし、それを外部に表現する場合、一定の制約を受けます。
極端な話ですが、すごく憎い人がいて、その人を殴りつづけたいと思うことは自由です。そして、それを頭の中で想像することも自由です。しかし、本当に憎い人を殴ってしまっていいのかというと、その自由はありません。
Aさんが、Bさんのことを好きになることは自由ですし、気分次第で好きになったり、別れたりするのも自由です。しかし、その自由な気分を使って、AさんがBさんと別れたりつきあったりを繰り返すことをBさんにして良いのかと言われると、私は良くないと思います。もしそれを許すならば、BさんにもAさんを気分次第で好きになったり、別れたりする自由を認めることになります。
お互いそんな状態では間関係長く続きません。本当に人が好きならば、別れたいと思う「瞬間」があったとしても、冷静になって本当に別れた方が良いのかよく考えてから、別れを切り出すことです。それが最低限のマナーではないでしょうか。
アストルティアの闇05に続く