この物語の元々の文章は、私がエイミー宛に送った寄稿文でした。その文章を読んだエイミーから「ぜひ冒険日誌にも載せてほしい」とお願いされ、冒険日誌用に作ったものです。
事情がわからない方が読んでも理解できるように書いたつもりですが、わかりにくい箇所もあるかと思います。
その4までと長い物語ですが、エイミーが、イベントクリエーターになるまでの占い師レッズ視点での物語をどうぞお楽しみください。
私がエイミーに秋祭りの相談を受けたのは、9月6日ドルファーレ六本木の後の事でした。
ドルファーレが終わった後、相談したいことがあると私に言ったので自宅に招いて話を聞きました。
彼女の相談内容は、
「大きなイベントをやりたい、やった方がいいのか、やらないほうがいいのか、占ってほしい」
とのことでした。
私は、なぜ悩んでいるのか正直よくわかりませんでした。日誌フェスというあれだけの大きなイベントを取り仕切ってやっていた方が、私のような弱小プレイヤーイベンターにそんな相談をするというのが不思議でしょうがなかったです。
話をよく聞いた結果、あることが私にはわかりました。
彼女の中には、尊敬する人がいて、その人に成りたいという強い欲求があったことです。尊敬する人を太陽に例え、自らを月に例える、そして、月は太陽になれないよね、それが彼女の口癖でした。
太陽は自ら輝き、月は太陽の光を反射して太陽の光で輝いているに過ぎません。その事実で自らの立場を説明しているのです。
なんとかして尊敬する人をあっと言わせたい、彼女の口からはその言葉は出ませんでしたが、私はそう感じました。
そして、彼女はそれにあえて挑もうとしていました。月が太陽になることを。
私は、やった方がいいのか、やらない方がいいのか、という質問に対しては「やったほうがいい」と答えました。ただし、まず小さいイベントをやってからでいいのではないか、と付け加えました。
しばらくして、また彼女が相談にやってきました。自分がやろうとしているイベントが大きくなりすぎて、尊敬する人の手を借りるべきかということです。
「尊敬する人に一参加者として自分のイベントに参加してほしい」それも彼女の大きなイベントをやる一つの大きな理由でした。ですから、尊敬する人にイベントの相談をするということは、一参加者としてイベントに参加できなくなるので、彼女にとってとりがたい選択肢だったのです。
でも、私は躊躇なくこう言いました。
「手を借りるとはどこまでをいうのでしょうか。変にかっこつける必要はありません。そう思うなら素直に相談しなさい。」
相談した後に返信がありました。
「そうしてみました。思いをぶつけて力を貸して欲しいと言ってみました。返事はないけど、スッキリ。月は自分では輝けないね。」
月は輝けない。私はずっと太陽と月の話には違和感を感じていました。例えば、サッカーの試合で輝くのは選手であり、その試合の企画や運営をしている人は、輝きません。だからイベントを行うのであれば、輝くのは参加者であり、運営者ではない、むしろイベントが上手くいっているときは、運営者は地味な存在であることが喜ばしいことのはずです。
「大きなイベントをやるのであれば、むしろ、輝かないことが重要だと思います。どんなイベントをするのかわかりませんが、主催者は地味なのが成功で、輝くのは参加者であるべきです。」
この言葉の思いは、いくつかありますが、主催者が太陽であるか月であるかは大きな問題ではないということを一番言いたかったのです。つまり、イベントを成功させるにはいかにして参加者を輝かせるかということが重要です。太陽は太陽なりの輝かせ方があり、月には月なりの輝かせ方があるのです。尊敬する人と同じことができないのであれば、自分にできることを模索してイベントを行えば、イベントを成功させることが可能なのです。私は、主催者が太陽でも月でもイベントを成功させることが可能だと信じていました。
「輝くのは参加者。そうだよね。」
そう彼女はつぶやきました。
その2に続きます。