5月27日が『ドラゴンクエストの日』という事で今回は私のドラクエの思い出を書いていこうと思います。
これは以前に書こうと予告してた話で今回フルマラソンを走りながら記憶を更に呼び戻したので書いていこうと思います。
今回もアストルティアライフの話ではないので興味が無い方はここでスルーして下さい。
写真も内容とは関係ありません。
(一応今回だけタカトト、アンミ、ラテモカ、ツナココの4人を揃えて写真を撮ってみました。)
話は私が小学6年生の頃に遡ります。
6年生に進級した私は当時あるナンバリングのドラクエを毎日攻略した話で友達と盛り上がっていました。
そんな中、6年生に進級したタイミングで6年生の担任を初めて受け持つという若い男性の担任の先生に変わりました。
5年生まではベテランの女性の担任の先生だったので子供ながらにその先生の頼り無さというのは感じてしまいました。
ただ、この新しい担任の先生は実はドラクエが大好きで生徒とも気軽に話す先生でした。
ここまでは特に珍しい話ではないかもしれませんが、この後の話は多分皆さん羨ましく思う話です。
この先生は、最初のホームルームであるプリントを全員に配りました。
その内容は、このクラスを6年◯組と呼ぶのではなく一つの国にしたいというのが最初の内容でした。
どういう事かと言うと◯組ではなく『ヴェリナード』とか『メギストリス』みたいな感じで自分達で考えた国の名前に一人一人がその国の住人にしたいという事でした。
もちろん、ドラクエファンもいればFFファンもいたりゲームもやらない人もいるので決まった名前はドラクエとは関係無い名前になりましたが、私達は一年間その国で生活をする事になりました。
そして、次の内容は一人一人職業に就いてもらう事でした。
これも、勇者や上級職を除いた『戦士』や『僧侶』みたいな職業に全員が就くという内容でした。
例えば、
腕力がある 戦士
足が速い 武闘家
優しい(面倒見が良い) 僧侶
賢い(後に進学校に行くタイプ)魔法使い
家が自営業、算数が得意 商人
ムードメーカー 遊び人
みたいな感じでお互いのイメージで当てはまる職業に就くのですが、私は当時剣道をしてましたが、運動会でリレーの選手をしてたので武闘家でした。
もちろん、パーティー(班)も基本的には仲の良いメンバーで構成されますが、戦士だけとかバランスの悪いパーティーは認めてもらえませんでした。
このパーティーの意味は、先生が毎週ドラクエのイラストを書いたプリントを渡すのですが、内容としては、
廊下を走らない ◯ポイント
宿題を忘れない ◯ポイント
困ってる人を助けた ◯ポイント
みたいな感じで経験値が貰えるのですが、中には勉強系やスポーツ系の課題もあるので、ある程度バランスが良いパーティーにしないとキツいですが、そこは先生も上手く課題を振り分けてたので極端なパーティーはありませんでした。
(感覚的には代筆家みたいな感じですね。)
こんな感じで大変な事もドラクエと絡めて上手く回してくれたので一年が楽しい一年でした。
そして、卒業式の後のホームルームで全員が勇者になり中学へ旅立つという終わりでした。
今なら大人もゲームを当たり前にする時代でしたが、この当時はゲームをやると頭が悪くなると言ってくる大人もいた時代なのでこの先生の柔軟な指導は今でも凄いなぁと思っています。
この先生も数年前には教頭先生になった話を聞きましたが、そろそろ定年かもしれませんね。
良い話ですが、最後にオチを書くと私達が卒業した後の4月に先生が過労で入院したので皆で病院に行って「ザオリクー」と先生を回復させようとしたら「生きてるから!」と言われたのが良い思い出です。
こういう先生がたくさんいると学校がもっと楽しくなると思いますが難しいのかなぁなんて思います。
他にもドラクエの思い出はたくさん有りますが今回はこの話を書いてみました。
皆さんの日誌も最近なかなか拝見出来てませんが少しずつ楽しみにしながら拝見しますね。