キリカ修道会の救援により、負傷者の治療は段違いの効率を得た。
が、それが本題ではない。
ダンディオ団長がはるばるエルトナ大陸まで支援を要請したのには、別の理由があったのだ。
「破邪の呪文か」
「そうそう」
リルリラは頷いた。
キリカ修道会に伝わる伝説の破邪呪文。それを使えば魔神の眷属を倒すのみならず、封印されし魔神そのものを調伏せしめることが可能かもしれないというのだ。
「その大役を担うのが!」
「お前か?」
私は意地悪く唇の端を持ち上げた。エルフは頬を膨らませた。
「あ・ち・ら・の! お方です!」
紹介された僧侶は柔和な笑みを浮かべてエルトナ式のお辞儀を返した。
オーガ族の豊満な肉体を純白の法衣に包んだその淑女は、サンと名乗った。リルリラは彼女の隣に立つと、長身を慎ましく屈めたサン嬢とは対照的にキリリと胸を張った。
「サンちゃんは今の修道会で一番の術者で、破邪の術もマスターしてるんだよ!」
「サンちゃん……?」
あまりに親しげな呼び方に面食らう。サン嬢はクスクスと笑った。
「サンさんなんて呼びにくいでしょ、って言ったら、リルリラちゃん、そう呼び出して……」
オーガとエルフが顔を見合わせて微笑みあう。
その光景を遠くから見つめる視線があった。
守護騎士団のダンディオ団長であった。
「あ、団長さんにも挨拶!」
リルリラが椅子から飛びあがり、サンの手を引いた。
修道会の面々を出迎える団長は、石のように顔をこわばらせていた。
「……?」
僧侶は首を傾げたが、そのまま流暢に挨拶を続けた。
「……話は聞いています。よく来て下さいました」
ダンディオ団長は固い表情のまま、儀礼的に敬礼を返した。
*
その後の打ち合わせでも、彼は事務的な態度を崩さなかった。
砦周辺の見取り図と各種書類を取り出し、受け応えを元に空欄を埋めていく。一問一答。必然、サンの口数も少なくなった。
無機質なやり取りが続く。
「……団長さん、結構お堅い人?」
リルリラが私に耳打ちした。私は首を振る。
我々に対しては、節度を保ちつつも友好的な笑みを絶やさず、和やかな態度で接していたのだ。
そんな彼にしては、明らかに堅すぎる対応だった。
『どうも、妙だな……』
魔法戦士団は外交も任務の内。完璧な作法は内心を隠すのに最適な仮面だと知っている。
私は注意深く周囲を観察した。
守護騎士団のトオチャ氏が、何かを察したようにため息をついていた。
何か知っているのだろうか……。問いただすより先にカンティスが私の肩を叩いた。
柱の陰で、密談が始まる。
「ここだけの話だが、あのダンディオという男、星導課からの報告に名前が挙がっていた」
「ほう……」
意外といえば意外だが、守護騎士団の長ともなれば不思議ではない。だが大事なのはそこではなかった。天使は表情を殺したまま続ける。
「騎士としての功績は大きいが、過去に判断ミスによって妻を死なせている。一人娘も妻の実家に引き取られ……実質的に絶縁状態だそうだ」
「……よく調べたと言いたいが……」
ため息が溢れる。
「天使にプライバシーという概念は無いのか?」
「仕事だ」
「ご立派」
私は肩をすくめる。
が、冗談はここまでだ。
先ほどのダンディオ団長の態度、そしてカンティスがわざわざこのタイミングで今の話を持ち出してきたことを考えれば、つまり……
「……その一人娘というのが?」
「ああ。確かサンという名前だった」
天使は頷き、眉間にシワを寄せた。
砦の休憩所では、サンが守護騎士らと談笑しているのが見える。執務机に座るダンディオ団長はたまにそちらに目をやり、すぐに目を逸らす。
天使は腕を組んだ。
「ダンディオは隠しておきたいようだが……潔いとは言えんな」
「カンティス」
私は首を振った。
「正しさが常に人を救うとは限らんよ」
トオチャ氏も同じ意見のようだ。事情を察した若い騎士に首を振り、その軽率を諫めていた。
「これは彼らの問題だ」
私は静かに宣言した。
……と、私の背中に誰かの手が触れた。
リルリラだった。
彼女は何気ない仕草で私の隣に並び、少し背伸びをして小声で囁いた。
「彼女、気づいてるよ」
カンティスが目をむいた。私は瞳を閉じ、頷いた。
「……何も言うなよ」
「ン」
リルリラはサンを見つめながら首を縦に振る。
天使は神妙な顔つきのまま、人々の表情を見比べていた。
*
父と娘の煩悶をよそに、砦内にはせわしなく人々が行きかう。
僧侶たちが呪法の準備を整え、騎士と魔法戦士が軍を整える。
そして数日後の深夜。
見張り兵がけたたましく鐘を鳴らす。
決戦の時がやってきた。