もうずっと見ていない顔がある。
気配すら感じられない。
オンゲーにとってそれは「永遠の別れ」でもある。
かすかな可能性。
他の場所、例えばSNSや、ひょっとしたらリアルの世界で「DQX昔やってたんですよー」からキャラ名を聞いて、「え?!もしやあの〇〇〇!?」等という可能性。
完全にないとも言い切れないが、99%夢物語だ。
バカでおセンチで気取り屋で中2病のおれだよおれさんは、数年前にキャラデリしたフレが、キャラデリ直前に送ってきた手紙を今でも郵便ポストに入れっぱなしだ。
郵便受けから何かを取り出す際、必ずそれが目に入る。
当然、感傷的になるわな。
何か大切なものがそこにあるような気がしてずっと処分していない。
発売日から数えて8年目に入ると、たくさんの人と遊んだはずだし、野良ptも含めると関わった人の数は自分が思っている以上のものになるはずだ。
その中でもフレになり、チームで一緒になり、エンドコンテンツで強敵を一緒に倒すために必死に遊んだ類のレベルになると、思い入れもかなりある。
そのポスト内の手紙の様な交流の証ってのを見てたまに感傷的になるもの、なんというかそう悪くないのだ。
「交流こそ醍醐味」の意味の中には、こういう形の交流も含まれているんだろう。
いなくなりやり取りがなくなっても、ある種の交流が続いている。
レンダーヒルズが実装され、マイタウンも実装され、当時買った住宅村は1年ログインがないと消滅してしまうシステム。
一度引退を決意すると、自分が手間暇かけてハウジングした自宅が消滅しても、一抹の後悔みたいな感覚を覚えても、「でも仕方ないか」で済んでしまう気がする。
むしろ消滅した事で、完全に心は「引退」で塗りつぶされてしまうのかもしれない。
オンゲーのサダメ。
「それがわかっているから、深く思い入れることはしないって決めた」と言っていたフレもいる。
「もうこんな悲しい思いはしたくないから」が理由だそうだ。
1人とても大事なフレがいる。
そのフレから「知り合いが引退すると言っている」と声がかかったことがある。
どうやら引退を阻止する方法はなさそうだ、とも。
そこで提案をした。
「Twitterのアカウントをお互い作ってフォローし合えばいいのでは」と。
かくしてそのフレはそうした。
便乗するように、こちらもTwitterのアカウントを作成した。
個人情報が漏洩する可能性、リアルの情報が「つい」漏れてしまう可能性、もろもろを懸念してSNSは避ける生き方をしてきていたが、今では毎日楽しく使用しているのだから、SNSの魔力はすさまじいとしか言いようがない。
そして最初に書いた引退したフレも、アカウントを持っているかどうかはわからないがたまにこちらのツイートを見ていると当時言っていた。
ゲームを離れてもTwitterではまだまだ存在感がすごい知り合いはぽつぽついる。
もちろん「ゲーム」という共通項がなくなった事で、一緒に盛り上がれるネタがなくなり、徐々にフェードアウトしていく人もいる。(やはり「共通の話題」ってのは交流においてとても重要なんだなと改めて思う。)
最近のインする人が少なくなっているDQXをとりまく状況の中、知り合いが面白いツイートをしていた。
#10年を振り返る
12 ドラクエ
13 ドラクエ
14 ドラクエ
15 ドラクエ
16 ドラクエ
17 ドラクエ
18 ドラクエ
19 FF14 ←イマココ
という内容だ。
とてもウィットに富んだことを言う知り合いで、ツイートを毎回楽しみにしているんだけれど、サラッとしていて、それでいてほんと深いツイートだw
なお、この知り合いも引退している。
しかしこうやって、引退前よりもこの人のキャラが濃く溢れ出しているのを感じる事ができる。
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事件、事故、病気、身辺環境の変化。
いつどうなるかわからない中で、自分もいつまで続けるのか(正確には「続けられるのか」かw)わからないが、続けている間は、
・最初に買った土地からは引っ越さない
・アイコンも大幅に変えない
・名前は変えない
・日誌はプレイヤー以外にも開放
という事は決めている。(なんとなくだけど。)
それが自分なりの交流方法で、そこで生まれる何かこそ「醍醐味」と呼ぶものなのだろうと思っている。
「蠢(うごめ)く証」は常に誰かに見れる形で。
休止しやすく、戻りやすいと言われるDQX。
誰かがふと何かを思い出した時に、「あーあいつまだちゃんといるのかw」となれば、この検索しやすい名前も、インパクト以外にそこでまた存在価値を持つこともあるだろう。