(その1からの続き)
以前にもこれと似たことを日誌で書きました。
2018年の5月の出来事。
・お手軽で簡単に、ストレスを始め心にたまったものを吐き出させてくれるツール、それがTwitter
・今までは冒険日誌やチャットが吐き出し口だったがそれが変わった
・自分の中にたまったことは、煮詰めて考えて、その上で吐き出すべき
みたいなことを、オチのないつまらない日誌として書いております。
結局答えなんて出ない疑問なんだけど、先日ネットでこの様な対談内容を発見し、改めてこのことを考えました。
以下に紹介します。
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〇荒木飛呂彦と荒川弘の対談「Twitterについて」〇
(出店:『鋼の錬金術師』大全ガイドブック「鋼の錬金術師CHRONICLE」
より)
荒木「Twitterはやらない方がいいかな」
荒川「私、Twitterをやる気は全くないです。面白いつぶやきを思いついた
ら、それを作品の中に入れればいい。そこで漫画力を放出しちゃいたくない
。ネタ帳を公開しているようなものですよ。」
荒木「うん。漫画で生きていくって決めたなら、言いたいことは漫画で主張
した方がいいと、僕は思うんですよね。で、炎上するなら漫画で炎上すれば
いい」
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別に自分は漫画家でもなく、偉い存在でもなく、単なる普通の1プレイヤーな訳なんだけど、DQXを楽しむ気持ちだけは結構強くずっと持っていて、発売日からずっとそれを大事にして続けてきました。
ゲーム内でpt組んで楽しかった、めっちゃ笑った、ギスギスに遭遇して超理不尽な思いをした等々を、Twitterの140字だかでグアー!って書いてスッキリして終わるのが、なんだかとても勿体ないなと感じ続けてきました。
Twitterで書いて共感を覚えてくれた人がリプを返してくれて・・ってのも、反応があってとても嬉しいし良いのだけど、喜怒哀楽を感じた際のエネルギーをもっとしっかり見つめたいし、見つめて欲しいとも思ってしまう。
「超嬉しかった」「超悲しかった」は、140字じゃとてもじゃないけど言い尽くせないでしょ?
そういう感動とかは、もっとちゃんと味わった方がいいんじゃないのかな、と。
味わって、積み重ねていきたいよ!、と。
で、結果生まれた思い出が、究極の醍醐味な気がするのよ。
いつかサービスが終了して、データが全部消えて何が残るか。
思い出しか残らないでしょ。
Twitterで吐き出して、一瞬グアーー!って盛り上がって、満足してしまう。とても寂しい気がしますん。
まあこれ正解なんてないし、嫌な事が起こったとして、Twitterでダー!ってつぶやいて、「そうだよなー!」って反応を見て、ある種の「負の感情の消化」を見事におこなって、スッキリして翌日に挑むとかも当然あるだろうし、それは一種のスキルとしてめっちゃ大事なことだとも思うし。
まとめると、昔の様にフレの面白い日誌が読みたいなというのと、日々感じたことを、自分なりにまとめる作業って、Twitterの便利さでわかりにくくなってるけれど、とても大事なことじゃないのかな、と。
ジョジョの荒木先生や、ハガレンの荒川先生も似た様な事を考えてるんだなと思ったので、以前書いたことと似た内容だけど、ツラツラと勢いで書いてみました。
以上、今回もオチはありません・・・w
ちゃんちゃん♪