こばわ。
おれだよおれ。
タイトルの通り、すぎやま先生のことを書いてます。
一読してもらえれば幸い。
そして何かコメントを頂ければなお幸い。
ありがたくしっかり読ませて頂きます<(_ _)>
「題名のない音楽会」を観た。
故・すぎやまこういち先生の特集がされていた回だ。
湧き上がってくるものがあったので、書き綴りたいと思う。
何気なく何かの折に聴いていたドラゴンクエストの「序曲」。
ドラクエ10を始めてからは、オープニングムービーに使われていることもあり、なんだかんだ毎日のように9年間聴いてきた。
番組で改めて聴くと、日常の中で当たり前になっていたこの曲が、ジワジワと心に染み入ってくる。
テロップで、「『序曲』は第一作から現在も使用されている」と表示されたのを読み、さらに感慨が深まった。
コロナ禍が始まった2020年。
1年があっという間に過ぎ去ってしまった。
桜でのお花見もない。
「咲いた」と思ったら、気付いた時には散ってしまっていた。
夏のお祭りもない。
お盆もいつの間にか過ぎ、秋に入り、クリスマスでの賑わいもどこへやら、ただただ淡々と、年末も正月も過ぎ去っていった。
個人的に思うに、四季折々のイベントや行事。これらをきっかけにして、人はそこまでの時間の経過を振り返っているのではないか・・・と。
「あぁ、今年もここまで来たか」と一息つくタイミングが出来るのではないか。
そして気持ちを新たに、その後を迎えることができるのではないか。
都度そんな小さな振り返りをしつつ、その1年が出来上がっていく気がする。
コロナ前の年末、
・今年の花見は楽しかった。バカ騒ぎしたな。酔って失敗したな
・お盆で帰省した際の兄弟姉妹、親、親戚の変わり様or変わらなさ
・今年の紅葉もきれいだったな
・クリスマスのイルミネーションや、大切な人と過ごした時間or今年も
一人かと思った時間
等々が思い浮かび、その1年が頭の中に蘇る。
そうやって、その年が「〇〇〇〇年」として実感を持って刻まれていく。
ある種の”重み”みたいなものを伴って。
話を戻すが、「題名のない音楽会」を観て、今言った「振り返り」と「次を迎えようとする感覚」を感じた。
1986年から流れ出した曲ということだから、35年分である。
それだけの期間を継続してきたこと、これだけ多くの人に愛され、東京で開催されたオリンピックの開会式で使われる知名度、世界への反響等を考えると、昨今「サスティナビリティ」という言葉をよく聞くが、とてもその1語で語り尽くせない様な気がしてくる。
日常の中で当然となっている事実。
改めて聴いても味わえる色褪せぬ感動。
「ゲーム音楽は聴き減りのしない音楽でなければならない」
という、番組冒頭のすぎやま先生の言葉。
すぎやま先生、あなたの作った曲は間違いなくそうなっています。
あなたの曲に触れられる時代に生まれてよかった。
旅立たれた先の世界でも、素敵な曲を生み出して下さい。
運命の線路が交差する時、またどこかであなたの曲を聴ければと思います。
長い間、ありがとうございました。