よーし、明け方に推しの考察するぞー^^(?)
というのも、SNSを見ていて、色々考えるところがあったので、なんでヒューザを13年以上も推しているのか自分でも知りたくなったこともあり。
当方ヒューザ好きですので、都合の良い自己解釈も含むところがあると思いますが、意見が異なっても一つの意見として聞き流してくださいな~
バージョン3.4と3.5のネタバレを含みますのでご注意ください!

この文章を書くにあたって、昔のムービーを見返しました。自分の認知が間違っているところもあったので。
まず、ヒューザの台詞で一番印象に残っているのは、事件解決後のジュレットの町でのソーミャとの会話。「頼れる相手がいないヤツは自分が強くなるしかねえんだ。誰にも頼らず生きていけるようにな」
この後、主人公に気付いていつもの飄々とした態度に戻るのですが、ここでまず彼の生き方を好きになったんだと思います。そして、サブをウェディで始めて、彼が犯した罪を知るのですが。
ヒューザって、仮面ライダーに似てるな、と思うところがありまして。永遠に贖われることのない罪を抱えて、罪滅ぼし(本人はそのつもりはないとやや否定気味だが)のために他者を助けている、孤独の存在。近年でいえば仮面ライダーガヴに出てくるラキア・アマルガが近そう?因みに、私はラキアも好きです。
そして、問題のレーンの村でのお話。彼がウェディのプレイヤーから非難される理由はここにある。
実際、「元の体の持ち主」をキルしてしまって、村長に責められている時、人をキルした奴の言動か?と言われても仕方ない部分はある。村長に「罪を償ってもらうからな」と言われた時、「分かりました」の一言でも言えれば良かったのですが、彼はできない。これは憶測ですが、恐らくそれは一番自分が分かっているから。自分で分かっていることを人から追い打ちのように言われると反発してしまうことはありませんか?私はかなりある。
それはそれとして謝れという意見もあると思いますが、彼が本当に謝りたいのはプレイヤーではなく「元の体の持ち主」なのではないかと思います。実際、プレイヤーに謝っても「?」ってなるだけだと思うし、謝る相手違うのでは?と疑問に思うプレイヤーもいるはず。そして、ストーリー上で一貫して主人公(プレイヤー)に謝らないのは、中身が別の人物だと気付いているからではないかなと。あいつに謝らないと意味がない、みたいな。
(このシーンが正直頭から抜けていて、誤った知識を取り入れており、凄く反省してます。サブを作ったのは12年前かつ当時小学生だったので忘れてました…)
それが分かるのがバージョン3.4のフィナとの二人きりでの会話。ウェディ主人公では、「前のあいつも、今の〇〇(プレイヤー)と同じくらい優しいから、謝る機会逃しちまった」という台詞が聞けます。明らかに別人だと捉えている。ここのヒューザの表情が、普段は絶対に見せない苦しげな表情をしているので大好き。
これらのことから考えると、ヒューザは長い知り合いには弱みや本音を見せられず、強がってキザな態度を取ってしまう傾向がある。ソーミャやフィナは出会ったばかりで日が浅く、事情をあまり知らないので比較的素直に本音を話せるのではないかと。3.5では、主人公を生き返らせるために寿命を捧げる際、「こいつのためなら構わねえよ」と言っています。ここでまた好きになった。多分、主人公が起きていたらこの台詞は言っていないと思います。実際、起きたら軽口叩いていましたし。
レーンの村のお話の態度でヒューザが非難されたことに関して、アストルティア見聞録にて当時のシナリオ担当者が反省点として挙げていたみたいです。ジュレットの町の次に彼としっかり話して心情描写があったのは3.4だったと思われるので。
余談なのですが、ヒューザはウェディ主人公が人間の姿で過ごしている時、どう思っているのでしょう?先程の3.4のフィナとの会話を鑑みるとやはり別人であることは分かっていそうなので、「同じ顔だけど、やっぱりあいつはもういない」と思ってたりするのでしょうか。それはそれで良いな。
SNSでヒューザは男性受けする、という文言をみましたが、彼に仮面ライダー的側面があることを踏まえると確かにそう言えるかもしれない、と思います。
結論、私の原点は彼の生き方にあるのかなと思います。罪も苦しみも全て孤独に背負って、プレイヤーには陰を見せず気丈に振る舞い、時に弱さを見せるヒューザが大好きなのだと。クールで、不器用な優しさがあるところも勿論好きですけど。

こんな乱文の日誌を見てないで、ドラクエ10を楽しんでください。
それぞれの好きな人を好きだと言い続けられる世界でありますように!
フォルガノスが終わって悲しむさーやさんでした。