フレさんが、中森明菜ちゃんについての日誌を書いてらして、それに便乗。
マニアックな内容です。
『赤い鳥逃げた』っていう明菜ちゃんの歌があるのですが、代表曲とも言える『ミ・アモーレ』に比べて意外と知ってる人が少ない曲。
けれど、実は『ミ・アモーレ』と同じ曲なんですね、歌詞が違うだけで。
『赤い鳥逃げた』のリリースは、『ミ・アモーレ』リリースの数カ月後、同じ1985年。(5月ってGoogleさんが言ってた)
1985年ていうのは、8月12日に、日本航空のジャンボ機(123便)が、群馬県上野村山中【御巣鷹山】に墜落して、520名の命を奪ったという、航空機事故の中でも史上最悪の事故が起きた年。
『上を向いて歩こう』で有名な坂本九さんが亡くなったのもこの事故で。生存者は四名。
(ちなみにドラクエ発売年は1986年だよ)
んで、
この『赤い鳥逃げた』ってのが、日本航空【JAL】の赤い鳥のロゴそのものだ!と目をつけ、明菜ちゃんの『赤い鳥逃げた』をテーマソングに、【赤い鳥、逃げた…】という日航機123便事故を題材に舞台化したのが、劇団離風霊船という劇団。(作/大橋泰彦)
1989年に初演、その後再演、再再演と、過去3回上演されているのだけど、20年近く前に再再演されてからはもう上演されておらず。
まぁ、もう40年近く前の事故だし、その事故以前の航空機の事故をテーマに書かれてる脚本だから、現代に響かないといえば響かないのだけど。
生存した方をモデルに書かれているので、今やるとイロイロ問題あるのかしら?
当時、特に最後の最後の演出の仕方が話題になって。観る人の心に深く刻まれる、あの事故を忘れないという怨念みたいなのを感じざるを得ない演出はお見事ででして。舞台でしか感じられないんだな、あれは。
あれ、またみたいなぁ。
分かる人いるかなぁ…いないだろうなぁ。。
いたらコメください。チャットください、フレ申請ください。(休止中だけど)
明菜ちゃんの『赤い鳥逃げた』も、ものすごくその舞台を引き立てていて、もう【赤い鳥】がJALのロゴの鳥しか思い浮かばず、JAL見るたびに明菜ちゃんの『赤い鳥逃げた』が脳内で流れて、
フレさんの日記を読んでまた思い出した、っていう話。
劇団離風霊船の団長伊東由美子氏の舞台を今年観に行ったのだけど…というか離風霊船の舞台に行ったのだけど、流石のキャラ立ちにずるいなぁと唸ってしまった。ああいう年のとり方したいわ。
劇団離風霊船は、昔、高橋克実さんが所属してたよ。
次は大相撲日誌の予定です。
フライングにすんまそん。

写真は赤いエビです。