前々から思っていた、セリフのない主人公が抱える悲壮や後悔。そういったものを表現したかった。それと同時に、端的に言えば規格外。そうとしか言えない主人公の現在において、対等に気を許して話せる相手の存在だったり、等身大で物を語ることの大事さだったりも書いてみたかった。
ついでに、エル子なのでまあたまには乙女チックなのも良いよねって感じです。
私もずいぶんと歳を取りました。もう若いとは口が裂けても言えません。そして、決して順風満帆と言えない人生を歩んでいます。そんな時に、ふと思ってしまうことがある。こんな負け組人間の気持ちなんか、上手く行ってるやつにはわからんだろうなあとか。想像もつかないような良い暮らしや成功を収めている人間は、私なんかとは似ても似つかない人なんだろうなあとか。
でもね、そんなことないわけですよ。人間なんか所詮人間なんです。そんなことで悩むし、そんなことで喜ぶし、そんなことで死にたくなる。そこは、人間である以上変わらないんですよね。
どんなに成功したって人が空を飛べるようにはならないし、死なないようになることもできません。歴史を紐解けば、何千年何百年も前から似たような諍いだったり、悩みだったりが古今東西に存在しています。人間が人間である以上、変わらないことが多い証拠です。
どれだけ科学が発展しても、どれだけ利便性が増しても、人間関係や自己の確立といったものにいつまでも老若男女問わず悩んでいるのが人間です。
だからこそ、少しでも色眼鏡を外して、偏見をなくして、自分の目で見たことをありのまま受け入れる。そう努めることが、自分らしく生きられることに繋がるんじゃないかなって、そう私は思って生きています。
おとぎ話のようにしか思えない天上人の人間が悩んでいることは、ひょっとしたら今まさに自分が悩んでいること同じかもしれない。そう思ったら、負け組とか勝ち組とかそんな些細なことを気にしすぎてもしょうがないよねってなってくる。
そんな感じのことを込めながら、アサナギxエル子ちゃんありありやな!って低俗なノリで筆が乗ってました。エル子はいいぞ、おわり。