3 紺碧の深海竜②
「これまでだな! アズール・ドゥジエムが誇る最大の一撃で、お前にとどめを刺してやる!」
遂に足が止まったセバスを前に、ゼーエンの右拳の爪が一層激しい輝きを見せた――瞬間、それは具現化されていた爪そのものと同時に、ふっと消え失せてしまった。
「な……馬鹿なッ!?」
オーラの輝きを失った魔装が途端に重くのしかかり、ゼーエンの魔装が強制解除される。にも関わらず、彼の体は鉛のように重いままであった。
「……私も限界近くまで消耗したが、今の貴様ほどではない。力に溺れたようだな、アズール・ドゥジエム」
冷徹に言い放つセバスに対し、今や立つこともままならないゼーエンが膝をつきながらも、憎々しげに声を絞り出す。
「まだだ……この程度でこの俺が、アズール・ドゥジエムが墜ちるかよ! 魔装展開!」
再び魔装を展開しようにも、MPを限界まで消耗しきったその体に、紺碧の装甲が応えることはなかった。
「――クソがッ! 展開しやがれェェ!」
それでも諦めきれないゼーエンの絶叫が空しく響き渡る中、セバスが無感情に語りかける。
「哀れな、己の限界に気づきもしないとは」
「舐めるなよ、俺の限界はこんなものでは……!」
「こんなもの、なのですよ。――それより、一つ分かったことがあるのですがね」
こちらもウェナブルーの魔装を解き、胸ポケットから取り出した銀縁眼鏡を装着しながら、黒服の執事が冷徹に言い放った。
「――貴方は、自分より格上の相手と戦ったことがほとんどない」
ゼーエンの顔から一瞬血の気が引き――そして、即座にどす黒い激昂の色へと染まる。
「ふざけるな! 俺は機甲戦団ガイデス首領側近、アズール・ドゥジエムだぞ! 逃げ出したお前に何が分かる!?」
「少なくともスペックの高さだけを頼りに、格下を短期決戦で叩き潰す戦い方ばかりしてきたことは十分に理解できましたよ」
見下ろすセバスの銀縁眼鏡が、夕日の光を受けて無機質に輝く。そこからは一切の感情が読み取れず、彼は淡々と言葉を続ける。
「魔装の概念を理解している相手に、ペース配分を一切考慮しなかったのは明らかに失策。短期決戦の出力で長期戦に持ち込まれれば、すぐに限界が訪れるのは自明の理というもの」
もはや言葉もないのか、それとも言葉を紡ぐ余力もないのか、ゼーエンが力なくうなだれる。だが、セバスはこれで終わりにするつもりは無論なかった。
「ゼーエン、身柄を拘束する。あの方が何を考えているのか、何が目的なのか……私の代役を務めている貴方なら、それなりに把握しているはず」
セバスが一歩踏み込んだ、その時。
「いやァ、お見事お見事……ドゥジエムを下すとは、流石は初代アズールといったところだねェ」
彼にとっては聞き覚えのある声であり、忌まわしき記憶の一端を担う存在が、夕闇を儚く彩る白い花弁の幻影と共に姿を現す。灰色の髪を後ろに束ね、白い着流しの腰に奇妙な剣を差した人間の男――その素顔は、呪力に満ちた般若の面に隠されていた。
「貴様は……シキョウ!」
「久しぶりだなァ、セバス。あんたはやっぱり生の感情丸出しの方が似合ってるぜェ」
うずくまるゼーエンを庇うような形で、着流しの男――シキョウが眼前に立ちはだかる。すかさず魔装展開に入ろうとするセバスだが、
「やめとけ、やめとけ。あんたの経験値は俺も理解しちゃあいるが、それなら俺との連戦に勝ち目がないことも理解してるだろ? なァ?」
般若の面の奥から、シキョウの戯けたような声が響く。その両手は懐の中であり、奇剣に手をかける様子は一切見られない。
だが、奴の恐ろしさは剣術に非ず――それを知っているセバスが、臨戦態勢を崩さずに問う。
「それで、この場をどうするつもりだ」
「なァに、こんな奴でもボスはまだまだ必要としてるモンだからさァ。今回は連れて帰らせてもらえればそれでいいぜェ」
「……嫌だと言ったら?」
「殺す」
間髪入れずに答えたシキョウの影が殺意と共に闇の色を湛え、それに呼応するかのように夕暮れの風がざわめく。般若の面の奥の瞳が紫に輝くのを、セバスは確かに見た。
「……なんつって、な。あんたはボスのお気に入りだ、遊ぶのはまた今度にしようや」
シキョウが懐から左腕だけを出し、無造作に印を切る。――その途端、闇色の影から無数の黒い腕がマドハンドの如く現れ、それは瞬く間にゼーエンの身柄とシキョウ自身を地の底へと引きずり込んでいく。その姿が完全に闇へ溶け込む間際、
「あばよセバス、いずれまた会えるだろうぜェ」
シキョウの『予言』が耳に染み付いて離れないまま、セバスは夕闇の中、ただ立ち尽くすしかなかった。