トイレの電球が切れまして、
まぁ、構造上お風呂の電気をつけておけば問題ないなと思ってたんですが、お風呂に入ってるときに浴室の外が真っ暗なのって、なんかめっちゃこわくない?
磨り硝子(実際にはぽいプラスチック?)の向こうの暗闇ってなんであんなに不安をかきたてるんでしょうか?
いいんちょです。
新しく始まったイベントで、新作家具屋が売ってるもみじのラグがなかなかいい。
ほかのラグと組み合わせて、もみじの部分だけを見せることも出来るし、葉っぱが散るエフェクトも良いですね。
家具でこれの花びらのやつがありましたが、こちらはより汎用的に使えそうですね。
流石にあれだけいわれると少しはあった申し訳なさも全て消費し尽くしてしまい。晴れていやな気分だけが残り、逆説的にいっそ爽快とも言えます。
むしろMの可能性すらある。
うーん、心当たりがなくもない。
私は元気です。
昨日語りたかったことを語っていくとしましょう。
この先、ものすごく中二病注意。
さて、こうなってしまうと非常に気まずいのだけど、かのチームには、本物がいました。
本当にセンスがあるというのは、あんな感じなんだろうな、と。
自然体で、最小限で、ストイックで、なんの変哲もないようで、とても魅力的で。
憧れるし、好きだし、嫉妬もしている。
だからこそ、今回瞬間湯沸かし器のように怒ってしまったのかもしれない。
なるほど、自分は冷静じゃあなかったわけだ。
私はあんな風に本物になりたい。
ネトゲなんてみんなそうだろうけども、借り物の見た目、借り物の言葉で仮想の話で盛り上がる。
この見た目も性格も、誰かからの借り物だったり、人によく見せようと取り繕ったもので、結局のところ偽物だ。
本当の自分は画面の前にいて、どうしようもなく陰気で陰湿で本物ではなくて、これが現実だ。
偽物の自分では本物になれないのかもしれない。
ある小説に貝木泥舟というキャラクターがいる、彼の名言に、
そこに本物になろうという意志があるだけ
偽物の方が本物よりも本物だ。
というものがある。
本物であることに胡座をかき、停滞している本物よりも、本物になろうとしている偽物のほうが価値があるという解釈です。
私はこの言葉が好きだ。
まぁ、本物の価値が偽物に劣っているとか、本物は胡座をかいているのか、というとそんなことはないと思うけど、偽物が本物になろうとする意志を評価する姿勢が好きだ。
私は本物に憧れ、本物を羨んでいるが、本物になろうという意志を持てているだろうか?
偽物の自分が本物になれたとき、本当の自分は本物になれるだろうか?
なんてね。
要するにあの才能が羨ましい!ねまたすぃ!
ぱるぱるぱるぱるぱる、、、。
って話なんですけど。
私もあんな写真がとりたい、あんな日誌が書けるようになりたい!