ドラゴンクエストⅩ、Ⅹ周年に向けて、最初の気持ちを忘れない。
定期執筆です。
ネタを集めたり、内容考えてみたり、みんなの冒険日誌を読んでみたり…
最近は、構成を考える時間がひとつの楽しみです。
定期執筆のリズムは、先行なら金曜日。
通常なら、土日。遅くなったら…月曜日。
(書けるのって、だいたい週末ですね。)
といって、記事を書くパソコンのデスクに座ると、
何を書き出したいのか、頭が透明になってしまう…
これって、ブログあるあるってやつですよね…!?
僕は、インスタグラムやツイッターなど使っていないし、ブログの経験もほとんどないです…。かなりオールドタイプに属しているという自覚症状、そして、「ドラゴンクエスト」だから日誌を書いているという情熱だけあります、笑
冒険者とは切っても切れない関係にある、情熱のお話。
Ⅹ年前に始めたゲームを、Ⅹ年続けてきたこととは無関係とは言えないでしょう。
冒険者も、たくさんの立場や有り様が、めちゃくちゃ増えたと感じています。
僕の場合は、例えば、このフレさんとは、最後まで闘うんだろうな…と
思っていた方が、急にインしなくなることもありました。
当たり前に「ただ続けること」に疑問を抱いてしまう…。
「ドラゴンクエストⅩ」だけがゲームではない。僕もそう考えていることがありますし、そしてこの問いは、誰しもが考えたことがあるでしょう。
遊んできたフレンドとはぐれてしまうことになった場合・・・
「それでもアストルティアに居続けるしかない」
「自分が残らなければ、はぐれたフレと再会することすらも叶わない」
この信念で冒険してる方は、すでにたくさんいることと思います。
きっと僕も、同じ意思を持ち続ける者です。
とくに、ver.5~ver.6にかけてのふるいは、最終決戦に向かう者と、疑問とのはざまで葛藤する者の差が大きかったなと感じています。

【ver.6になって、僕の気持ちには「やり切る」というスタンスがより強く出てきています。自サポでのシナリオ攻略や装備、立ち回りの熟慮。「やれる範囲で」こだわっています。】
インターネットで、熱意に関わる、面白い記事を見つけてきました。
その記事の要旨は、
「熱意がある人が、その熱意を他人に見せることはよいことだけど、相手との価値観や、熱意の差も考慮しなくてはならない。相手は、自分にとっては簡単な熱意で成し遂げられることを、精一杯の熱意で取り組んでいる場合がある。」
というものです。
人によって「好き」への接し方、価値観が異なるのだということ。
Ⅹ年冒険を続けてきている、僕たちこそ、気づきにくいことですし、新しいフレンドさんを見つける時にも、
それぞれにあったアプローチをするのが大切なんだな、ということを「はっ」と考えさせられています。
熱意とは、時に溢れ、時に難しく、時に自身の原動力となるもの。
僕に、これをコントロールできる日が来るのでしょうか。
しっかりと考えてからアストルティアに行けば、アストルティアにいる冒険者達の事も、もっともっとわかるような気がしています。