最近お気に入りの場所、ここ↑
温かい人の気配に加えてここで昼間流れるBGMが特に気に入って
気がつくとボーッといる
たかがゲームのグラフィック
しかし、ゲームのグラフィックと単純に割り切れない何かがアストルティアにはある
もし、ドラクエ10がオフラインゲームだった場合
こんな景色に足を長く止めることがあったか
もっと美麗なグラフィックを誇るゲームはある
しかし、この様に景色を楽しみあたかもゲーム内で深呼吸するかのように
リラックスする様な事があったか
オンラインゲームがドラクエ10が初めてのオイラにとって
明らかに今までプレイしてきたゲームとは異質な存在
何故なのか
答えはこの世界に他にも息づく人がいるからだ
自分しか存在しなかったらきっとここは世界として成立していない
人の居場所、自分の居場所
これは特定の地点や場所を指す言葉ではない
自分以外の人間が側にいてくれる事を指すと思う
オイラは自分の価値観を第一に何事にもあたっている
これがオイラから見た善だからだ
無論、人から見てそれが善か悪かは問題ではない
自分から見て善か悪かだけが行動の指標であるし
これに沿って実生活しかり、ドラクエ生活も送っている
だけどもし、ここに【許容する】という度量があったなら
今とはまた違ったドラクエ生活になっていたかもしれない
自分が大切にする居場所と、自分の価値観を通すこと
この二つを天秤にかけたとしたらと冷静に考える機会が今回たまたまあった
結論はオイラが間違っていたのである
この事に気付かせてくれたフレさんに感謝である
自分の周りに誰かいてくれないと
景色は単なるグラフィックに変わる
広大なアストルティアの世界は単なるゲームの世界になってしまう
たがらこの機会をくれたフレさんにも、もう一度考えてみてほしい
長年過ごした自分の居場所と、自分の価値観のどちらが重いのかを
もちろんどっちが正解でどっちが誤りなどはない
自分の居場所はまた作る事が出来る
でも失った居場所に戻ることは出来ない
そして願わくばそのフレさんに
ゴシックフリルを履いて欲しい