ひとときの団欒が終わり、すっかり空に星が満ちた頃。未だ眠り続ける少年に寄り添うように、客間のベッドに上半身を預けるハクトの姿があった。ベッド脇の椅子に腰かけて様子を見守っているうちに、満腹感も手助けして、眠りに落ちてしまったのだろう。幸い、マイタウン区画はまだ肌寒い季節ではない。ティードはハクトが無理な姿勢では無い事を確認し、起こさないようにそっと、薄い肌布団を被せた。
あの子の様子を見に行ってもいい?と食事を終えるなり、ティードの了承を得てすぐに少年のもとへ向かったハクト。ひたすら眠り続ける見ず知らずの少年を、一体どんな気持ちで眺めていたのだろうか。
既に食器を片づけたフライナも退席し、いまやこのとても広い建物の中に、眠る2人を含め、たった4人だけ。
「良ければ一杯、お付合いいただけないかしら?」
家主不在ながらも初日のおもてなしを無事こなし、母としての仕事も一区切りがついた所で、ティードはセ~クスィ~に大人の時間を提案した。
「もちろん」
セ~クスィ~とて、ティ~ドの誘いを断る理由は何もない。少年たちの安らかな眠りを妨げぬよう、2人でそっと客間の一つをあとにし、対岸の主寝室へ移動する。道すがらティードは先ほど食事を済ませたリビングに立ち寄ると、二つのショットグラスと、年季の入った一本のボトルを手に取り戻る。
「さ、こちらへどうぞ」
屋内庭園と言っても差支えない手入れされた観葉植物と石畳の隣。小型テーブルを挟むように配置された黒レザーのソファーにそれぞれ腰かける。ピンと張られた革生地ならではの押し返すような反発が心地よい。
「飲み方は私にお任せでいいかしら?」
「ああ、構わない」
古びた瓶の中身の琥珀色の液体を、グラスの高さの半分少し下まで落とし、そこへあらかじめテーブルの上にフライナが用意してくれていたピッチャーから常温の水を注ぐ。1対1で蒸留酒と水を混ぜ合わせるトワイス・アップという呑み方。こうすることで、素材本来の味や香りが一層花開き、さらに蒸留酒独特のキツいアルコールの匂いは、なりを潜める。
「良い香りだ」
「でしょう?モリナラ大山林で採れるミズナラの木で作った樽で寝かせたお酒よ」
「なるほど、エルトナ大陸の。どうりでオリエンタルな香りがするわけだ」
「乾杯は、あの子の事が解決するまでとっておきましょう」
「そうだな」
杯を合わさず、お互いに口へとグラスを運ぶ。芳醇な香りとともに、チリチリと喉と食道を刺激する感触が走る。
「うむ、なかなか強いお酒だな」
セ~クスィ~は加減して口に含んだつもりだったが、思いの外の力強さに少し驚いた。
「ふふふ。そういうお酒を飲みながらの方が、濃い時間が過ごせるでしょう?」
「そういう、ものなのか。正直、あまり酒を酌み交わした経験が無くてな」
「あら、悪いこと聞いちゃったかしら」
「いや、気にしないでくれ。自分で選んだ道をひた走ってきただけの事。後悔は無い」
「…本当に?」
ついつい、相手の事を深堀しようとしてしまうのは、もはや職業病だろうか。内心自分をたしなめつつも、酒の勢いがティードを後押しする。
「今は、たまには寄り道もいいものだと、思えるようになった」
「それは良かった」
「貴女のおかげだ」
「あらやだ。口説かれてるのかしら私」
「ふふふ。そんなつもりはない。それに、貴女には既にマージン殿という、立派な連れ合いがいらっしゃるではないか」
「立派、ねぇ?」
ティードの脳裏に、ヴェリナードからの召集を受けて、唇を尖らせ、いつもはしゃんとした背筋を、常夏のヤシの木の様にしならせながら渋々出かけた亭主の姿が頭に浮かぶ。
「それに、ハクト君といったか。まだ少ししか話せてないが、利発なお子さんじゃないか。恋愛も子育ても、私はその手の戦場に立ったことがないし、とてもでないが、そういう自分の姿を想像ができない」
セ~クスィ~は今の生活に、不満がある訳ではない。むしろ、戦いに明け暮れる日々に、充実と幸せすら感じている。だが、たまにふと思うのだ。違った自分も、もしかしたらあったのだろうかと。オーガ女史の集いから続く、ティードと過ごす時間は、至福の時であると同時に、ごくごく仄かな痛みをセ~クスィ~に与えていた。
続く