とっぷりと日も暮れ、客はおろか従業員のライティアやハクト、ごましおらも眠りについたさらに後。
ロウソクの僅かな灯りの中、今日も今日とて、虎酒家の店主、ミアキスは帳簿をまとめていた。
店内の一画、客用の小さな椅子が、豊満、という言葉でオブラートに包むには無理のあるミアキスの巨躯を支えている。
ミアキスはキメラの羽根をあしらったペンを手にとると、先端をゆっくりとインク壷に浸す。
メラガイアーの如き超高火力の最中、中華鍋を荒々しく振り回す調理の時とは違い、サラサラと上品に一日の売り上げをしたためていく。
今日の注文は唐辛子を効かせた猛虎チャーハンが82食、ぬくぬくどりのガラでダシを取った白湯麺が65杯、エルトナ産青菜とポポリアきのこ山直送エリンギの炒めが23皿、紹興酒が瓶2つ分に、餃子が143皿で、うちライティアが5皿、ごましおが2皿つまみ食いをした。
名物のタイガーマンゴープリンは、当日分の30個が開店後10分で完売。
ライティアにストックを食べ尽くされてしまったダメージは依然として大きく、再度潤沢に提供できる段取りは今しばらく組めそうにない。
そして、つまみ食いの累計数的に、そろそろライティアにまとめて請求を考えなければならないと手早く走り書きを添える。
ノートと呼ぶには雑な装丁の虎酒家の帳簿を閉じ、ミアキスは大きく伸びをする。
長い昼寝から目覚めた虎の如き、ゆったりとしつつも力強い所作に、ミシッ、ギシッと椅子と床がけして小さくない悲鳴を上げる。
一日の仕事を終えて、ミアキスの脳裏に去来したのはライティアの事だ。
荒野の野宿、魔物の肉を食す生活で培われたスパイスの扱いは、長らく調理場に立ってきたミアキスをしてぐるぐると盛大に舌を巻かせるほどのもの。
お世辞でも何でもなく、この虎酒家を今すぐ譲ってもいいと思えるほどに、あの才能は素晴らしい。
嗅覚や味覚は、時間はかかれど磨き上げることができる。
様々なスパイス、それにまつわる知識もまた同じだ。
しかし、食材と対峙して、どのスパイスをどのように組み合わせるか。
そこに必要となる閃きは、まさしく天啓、天から授からぬ限り身に付けることはかなわない。
忘れもしない、ライティアの下働き初日。
彼女は店内に燻ぶる前日の料理の残り香だけでメニューを再現してみせた。
さらにミアキス秘伝のまかない朝食、シェントウジャンのスパイスの調合を一口で当てられてしまったときには、眩暈すら覚えたものだ。
そして、ちょっぴりだけアレンジを加えた、というライティアの再現料理は、悔しい事に虎酒家のオリジナルメニューよりもどれもこれも美味しかった。
ひたすら餃子を焼くことと、店内の給仕に専念させているのは、少しの、いや、かなりのやっかみゆえの子供じみた行いであるとミアキスは自覚している。
そして、ミアキスの思案は、続いてライティアの強さへと及ぶ。
少し前から、村の周りがきな臭くなってきているのはミアキスも把握していた。
だがしかし、寄る年波には勝てない。
昔取った杵柄で何とかするには、形容ではなく骨が折れる。
本人にとってはただの修行の一環であるのだろうが、こちらから願い出るまでもなく、村に近づくモンスターを狩ってくれるライティアに、ミアキスは陰ながら感謝している。
餃子のつまみ食いを咎めてこなかったのは、ミアキスからのささやかながら、お礼の意味もあった。
さながら虎の如き、ライティアの戦闘スタイル。
そして、いつのまにやら連れ込んだ少年たちへの修行の様子。
それらを見つめ、日を追うごとに、ミアキスの中で、もしや?という思いは強まり、今では疑う余地もない。
動物の動き、とりわけ虎の形象を再現する事を目的とし、その果てに失われた始原猛虎爪の復古を為さんとする古流武術の道場。
何処ともしれないその地を見つけ出したとしても、入門するためにはまずドルボードの速度を上回る脚力を前提とされ、厳しい修行の最中、命を落とす者も数知れず。
「…あの時代遅れの道場、まだ続いていたとはね」
店内装飾の一つとして飾られている特大の中華鍋をそっと見上げるミアキス。
壁側に向けられ隠された鍋の面に、ライティアの属する猛虎流道場の刻印が大きく刻まれていることは、ミアキスだけが知っているのだった。
続く