未だ客達の熱気を残した閉店直後のクマヤンの酒場。そろそろ星も眠りにつこうかという深い夜に、マユミの声が響く。
「よいしょーっと!」
妖精がゆえ、エルフも比較にならないほど小柄なマユミにとって、ショットグラスすら相当な重量となる。
やっとの思いで、丸椅子に腰掛けるクマヤンの前に3つのショットグラスを並べ終えた頃には、息もすっかり絶え絶えである。
ショットグラスに満たされた液体は、非常に透明度が高くありながら、稲穂と同じ黄金の光沢をうっすらとその身にまとい、原材料となった米の粘りを若干のとろみに変えて艶かしくゆらりと揺れる。
「ふぅ、準備できたわよ」
マユミの言葉を受け、何故か目隠しを付けているクマヤンは、グラスを倒さぬ様、ゆっくりとグラスを探り、一つ一つ鼻先へと運ぶと、その薫りを深く深く吸い込む。
「………よし」
「はい、まず一杯目は?」
「度数の高い米の酒特有の力強さ、しかしそれでいて尖りのないスッキリとした香りは、熟成させた酒ならではのものだ。『ルミの酒』の古酒」
「…正解よ。次は?」
「まるでグレープフルーツのような、酸味の強い香り。『ゴールドタイガーcitric』」
「正解。最後は?」
「最後は…むぅ…」
見事に香りだけで先の二種類のお酒をズバリ引き当てたクマヤンだが、ここへ来て頭を悩ませる。
判断に悩む難題であるのも勿論なのだが、クマヤンを最も苦戦させているのは実は問の難しさでは無い。
先程からクマヤンの頬はオーガの肌色を差し引いても赤々と上気し、こころなしかその身体はゆらゆらと振り子の如く揺れている。
そう、この男、実は下戸である。
酒を選ぶ勘を鈍らせぬよう、定期的にマユミの協力を受け、利き酒にてその感覚を磨いているのだが、今も深く吸い込んだ酒の香りでほろ酔いになっているのだ。
(芳醇な旨味をはらんだ香り…大吟醸に間違いはない…銘柄を絞る要素は…)
ふわふわし始めた頭を何とか回し記憶を手繰る。
「っ!わかったぞ!マスクメロンのような香味、これは『幻の舞』だ!!」
勢い良く立ち上がり、解を叫ぶとそのまま大の字にひっくり返るクマヤン。
「はい、大正解~。さて、今日は何時間で目を覚ますかしら…大地の箱舟、始発の時間に間に合うといいんだけれど…」
もはやクマヤンの耳には届いていないだろうが正否を告げると、パタパタと茹でダコのようになったクマヤンの顔をうちわであおるマユミであった。
二人が長年慣れ親しんだアズランの酒場と哀愁に満ちた別れ…いや、幾分か焦げ臭い別れを経てから、はや二ヶ月。
グレン雪原地区に開いた酒場はアズランの頃の常連客は勿論、新規客の心もガッチリ掴み、順調に軌道に乗りつつある。
そしてさらなる高みを目指す為、クマヤンは数日前より看板メニューの開発に取り組んでいた。
グレンの雪原地区に構えた新店はやはりオーガの客が多く、彼らの多くが好む、米を主原料とした辛めの酒に合うガッツリ飯としてカレーを選択し、明日、というよりもはや今日だが、食材を調達する為ウェナ諸島に旅に出るのだ。
「んぎぎぎっ…」
せめて風邪をひかぬよう、毛布を何とかクマヤンに被せると、マユミもまた出発に備えて、酒場と隣接する自宅のベッドへ向かうのだった。
続く