中央が広く、先へ向かって細くなる卵のような形状の、白樺の木で作られたシンプルなマグカップ。
その上に鎮座するのは、同じく白樺の木を削って作られた枡状の器に金属製フィルタを取り付けた特製のドリッパー。
アズランの住宅村、その一区画をまるごと活用した、ペンションタイプの宿に滞在中のフツキは、半身を竹筒風呂に浸かりながら、浴槽に据付けられたサイドテーブルに置いた特注のコーヒーセットに、粗く挽いたコーヒー豆が均一に溺れるよう慎重に口の細長いケトルでお湯を注いでいく。
たちまち立ち昇るコーヒーの香りと、螺旋を描き絡み合う深い白樺の香りを深く深く吸い込んだ。
ケトルを置き、完成したコーヒーを満たしたマグカップを片手に、胸元まで湯に浸かる。
話を初めて聞いたときには如何なものかと訝しんだものだが、等しく植物の恵み、コーヒー豆と白樺のマリアージュは最高だと言わざるを得ない。
「…ああ。何て豊かな時間なんだ…」
テルルのベギラゴンで焼き払われた頭髪も、長きに渡るスワンボートの復元作業のうちにすっかりもとに戻った。
本格的に冒険者として再びクエストを受ける前の景気付けとして、フツキは同好の士にして文通友達である男の薦めで、浴室で楽しむコーヒーが名物のこの宿へやってきたのだ。
しかしスペシャルなコーヒーを嗜もうとするたび、フツキの脳に去来するのはディオーレ女王生誕祭の日、一日限定で供されるバースデイブレンドをマージンによって無為にされた悲劇である。
それゆえ、今日この時を完璧にする為、マージンが自宅にいる事は念入りに確認済みだった。
「………いやいやいや。まさか。そんなまさか」
しかしふと目を向けた窓の外。
特徴的なギンガムマフラーを巻き付けた男が、今まさに走り抜けては行かなかったか。
「気の所為気の所為…」
呪詛のように呟きながら、首まで湯に埋め、精神安定剤代わりに残りのコーヒーを啜る。
しかし、クマヤンの酒場を吹き飛ばした爆音が、あたりに響き渡ったのは、この瞬間であった。
音のみならず、地から揺する振動にカップが手から滑り、無惨にも残りのコーヒーが湯舟に広がっていく。
状況の確認の為に窓から半身を乗り出したフツキの目に飛び込んだのは、マージンらしき人影が走ってきた方角で赤々と輝く炎の光と、天へと向かうキノコ雲だった。
「おのれ!マーーージーン!!!」
バカンスが台無しになったフツキの絶叫が、アズランの夜に響き渡るのだった。
続く