グレン領西の外れ、荒野にポツリと残る古びた酒場がある。
囲む集落は皆移住して絶え果て、たった一軒だけになろうとも、プクリポの店主は頑なにそこを去らず、たまに通りすがるあらくれ相手にアルコール度数のいかれたお酒を喰らわせる、知る人ぞ知る穴場の店となっていた。
カウンターに寝そべっていた店主は、ごろりと寝返りをうって落下したはずみで目覚め、店の外に出て懐にしまっていた商売道具のウイスキーの瓶をおもむろに開栓し、まだ日も沈んでいないというのにグビリと一口煽った。
その刹那であった。
「あああああああああ!!!」
青白い光とともに、天から高速で舞い降り、雄叫びに近い悲鳴と共に灰色の工作員風の服装に身を包んだ男が、轟音と木屑を巻き上げ、店主の城たる酒場の屋根をぶち破った。
「…幻覚見るとはな。酔いが足りねぇか?」
もうもうと巻き上がる砂煙を前に、店主は二度、三度、パチパチと瞬きをすると、ウイスキーの残りを一気に飲みほして、そのままくだを巻きひっくり返るのだった。
「空から降ってくるのは美少女だけの特権なんだぜ。こんなに風通し良い店になっちまったら、すぐに酔いも醒めちまう。客泥酔させてボッタクリもできやしねぇ。まったく、厄介なことしてくれる兄ちゃんだぜ」
マージンの落着から、はや数時間が経とうとしていた。
夜風の冷たさに目覚め、酒場の天井に大穴が空いた現実をしぶしぶ受け止めた店主は、適当な包帯の巻き方でミイラのようになりベッドに横たわるマージンを見つめる。
流石にドンピシャでグレンを引き当てる事はできなかったとはいえ中々のニアピン、つくづく悪運の強い男である。
そして悪運といえばもう一つ。
店主はマージンの首に巻かれていたギンガムマフラーを手に取り、しみじみと眺める。
「…まさかとは思うがな。年の頃はピッタリ、か」
そのギンガム柄のマフラーは、相当年季が入った布地で出来ており、店主はその昔預かった、ギンガム柄の布地に包まれた赤ん坊の事を思い出すのであった。
それは、少し昔の物語。
アストルティア広しと言えども、木の股から生まれる子供はいない。
父が誰かを知らず、母の思い出もおぼろげで、妻と息子、そして爆弾をこよなく愛するある男もまた、それは然りである。
オーグリード大陸、グレンと遠からず近からず。
集落とも村ともつかない小さな小さな寄り合い所帯の寂れた酒場のウェスタンドアが、ギシッと大きな悲鳴をあげて開かれた。
ボロボロのテンガロンハットに、ボロきれのような砂除けのマントを羽織った長身の男は、ヅカヅカと無遠慮な靴音を響かせ、欠けたナイフやら折れた矢じりやらで、各々煩雑に壁に留められた依頼書の前までやってくると、内容には一切目を向けず、報酬金額のみで一番桁の多い紙切れに手を伸ばす。
「あ゛!?」
「あ゛!?」
その時、同じ獲物を前にして、2つの剣呑な言葉が被った。
見下した男の視線がとらえたのは、マジカルハットのような黒く大きなとんがり帽子を被り、帽子の裏地と同じく赤い布を多用しゆったりとしたデザインのポンチョのような衣服、そしてそのそこかしこに黒色の羽飾りがアクセントとなり、民族衣装のような印象を与える服装に身を包んだ背の低い女。
とんがり帽子のツバには一筋の大きな亀裂が走っており、そこから覗く影の中から、獲物を前にした飢えた肉食獣のような視線が男を見上げている。
何とも間抜けな話だが、土埃で薄汚れた、岩肌の様に荒れた男の掌と、目に染みるほどの濃い草の薫りを纏う、白磁のようなほっそりした掌が、依頼書の上で重なったその時まで、お互いに相手の存在は、その鏡写しの如くそっくりな、鋭利な刃物のような瞳には全く映っていなかった。
とにもかくにも、こうして後に父となり、母となる二人は出会ったのだった。
続く