投げ放たれるがごとく吶喊する屍の群れは、幸いにもキャトルとジュエの潜った穴に落ち込んで来ることはなく頭上を通り過ぎていくが、果てなく続くかのようにその勢いはやむことを知らず、完全に過ぎ去る頃には夜を迎えていた。
さりとて、見上げると広がる暗闇が、果たして星の無い夜の闇か、それとも屍の残滓か、這い上がり頭を出して確認する度胸はとてもなく、ようやくキャトルが一息をついたのは、視界にぽっかりと月が浮かんだ時だった。
ジュエもまた、同じ狭暗がりの中で共に身じろぎ1つせず佇んでいる。
長きに渡る沈黙にしびれを切らしたのは、キャトルの方だった。
「双子の姉かなんかか?性格が悪過ぎる。お前、人間関係見直したほうがいいぞ、マジで」
キャトルはジュエがばくだんいわで掘り進めた深い穴の底で、ひっくり返った姿勢のまま愚痴をこぼす。
「アイツはそんなんじゃない」
「…だろうな」
キャトルは大量のモンスターを吐き出したあの黒い身体を思い出す。
光すら呑み込む、あの宙の闇のような黒を。
ついうっかり斬りかかっていたら、果たして今この場に五体満足でいることができただろうか。
あんなものは断じて人ではない。
常識外の存在に怒りにも似た感情が呼び水となり、次第に早鐘のように鳴っていた心臓がようやく落ち着いてきたと思ったとき。
キャトルはふと気付いた。
狭い地の底で、息が届きそうな所にジュエの顔がある。
嫌でも先程の、ジュエと瓜二つの女と交わした予期せぬ口付けを思い出してしまう。
再び鼓動を早める心臓の音と、赤らみそうになる頬を抑え込むためジュエから目線をそらしていると、唐突にジュエが話を始めた。
「今から随分と、そうだな…ざっと数千年単位で昔の話だ」
キャトルは、一体こんな時に何の話を?と思ったが、ジュエが無駄な話をする女ではないのはよくわかっている。
「先祖が残した一枚の未完成の絵を仕上げることに全てをなげうつ、愚かな一族のもとに、一人の少女が生を受けた」
「絵?」
「そう。絵だ。人智を超えた存在、『竜』を描いた、一枚の絵。全てはそこから始まった」
ジュエはポツリポツリと、ただ紙に書かれた文面を読み上げるように、淡々と語りを続ける。
「その少女は、幼き頃より神童と呼ばれていた。
その瞳で世界の色を完璧に識別することのできたその少女の描く絵画は、モデルを完全に模写しており、地面を描き地に落とせば、絵がどこにあるのか分からなくなるほどに卓越していた。
故に少女には、一族の悲願たる『竜』の絵が完成に至らない最大の理由、その体表を彩る漆黒がどのような素材を用いて塗られているのかも、ずっと前から解っていた。
しかしカンバスの空白を埋めようとしなかったのは、単純に興味が無かったからだ。
綺麗だという感慨を知らぬまま、人の身に余る才能を獲てしまった事により、世界をただ色の組合せという情報としか認識出来ない少女にとって、日々はひたすらに無味乾燥で、明日の己の命すらどうでもいいとさえ思っていた。
ただ唯一の心の支え、齢16を数えれば、一族のもとを離れ旅に出ることができる。
世界は広いという。
この檻に閉ざされたような一族のもとを離れ、世界を巡れば、きっとこんな自分でも、綺麗という概念を、生まれてきて良かったと思える何かに出会えるかもしれない。
故に、16の誕生日を迎える前夜、一族の長が、過去最も『竜』の絵を完成に導く可能性の高い少女のことを、外界へ出すつもりはない事を知ったとき、躊躇わずに『竜』の絵の欠けた部分を描いた。
腐った魔物の血に、埋設されて20年以上は経つ人の骨、その他、ありとあらゆる、不吉な物を練り込んだ黒で描き上げるその『竜』が、ろくなものではないということくらい、分かっていたにも関わらず。
一族の悲願たる始祖の遺産、『竜』の絵を完成させたその少女の名は、ジュエといった」
そこまで一方的に話終えると、ジュエは大きく一息をついた。
「…」
相手が嘘を言っているかどうか。
荒んだ生活を送ってきたキャトルには、その辺の嗅覚が身についている。
加えて、ジュエのその見かけに不相応な立ち居振る舞い、坊や呼ばわりされても不思議と反感が湧かなかった所以、それら全てが、昔話の少女が目の前のジュエ本人であることを肯定している。
にも関わらず、自身の脳ミソがそれを否定したいと必死に考えを巡らせる理由、それを見つけられないキャトルを置き去りに、ジュエが再び口を開く。
「そしてその日。アタシは紛い物の竜から、呪いを受けた」
続く