ドロウモンスターは、描き手が意志を込めて破り取らない限りは顕現しない。
しかし絵を完成させた途端、その瞳はギョロリと巡りジュエの姿をとらえ、狂った三日月のようにニヤリと嘲笑うと、柔らかい膜を突き破るようにその首が、腕が、次々とカンバスから浮かび上がる。
そしてまたその体躯も、描かれたサイズを遥かに超え肥大していき、アトリエの天井を突き抜いて、さらに大きく翼を広げたことで、建物は完全に崩れ去った。
竜の足元に居たため建物の崩落から難を逃れたジュエの視界に、音を聴いて外に出てきたのであろう、顕現した竜に向かい、神を崇める如く地に平伏する集落の人々の姿がうつる。
全く馬鹿げている。
崇め奉るべき存在などではないことなど、あの色を見れば分かるはずだ。
いや、分からないから、こんなものに執着していたのか。
くだらない。
ーーーならば、消してしまえば良い。
「…!?」
自身の暗い感情に応えるようにしわがれた声が頭に響き、足がすくんだ次の瞬間、あたり一面を、竜が吐瀉した漆黒の炎が包んだ。
「遥かな昔。『願いを叶えよ』、そうあれかしと祈られて、この身は描かれた。喜ぶがいい。願いは成った。外に出たかったのだろう?自由になりたかったのだろう?お前を縛るものは、何一つとして残ってはいない」
まさしく竜の言葉の通り、黒き奔流が過ぎ去ったあと、人の姿はおろか、村が存在した痕跡、建物の建材や礎、果ては草木に至るまで、見渡す限り何も残されていなかった。
「そん…な…」
「さぁ、次はこちらの願いを叶えてもらおう」
そう囀り、紛い物の竜はドロリと蝋が溶けるように形を失った。
「何を…うぐっ…」
模造品の竜はドス黒い液体に変貌しながらジュエを包み込む。
漆黒の帳に包み込まれ、空気を求めもがき苦しむジュエの脳内に声が響く。
「役割は果たした。あとはこのまま消える定め。だが、我はそれではあまりにも、そうだな、お前たちの言葉を借りるなら、それはとても、つまらない。そう、それではアタシはつまらないんだ」
野太くしわがれた男の声が次第に少女の声へと変わるにつれ、口調も淡々としたものから、抑揚の効いたしっかりとしたものへと変わっていく。
「ガハッ!ゴフッ…」
黒い渦はようやくジュエを解放すると、ようやく空気にありつき咳き込む彼女の目の前で、一つの像を結んだ。
「あ、たし…?」
「そう、アタシはお前、そしてお前はアタシだ。感じるだろう?体内を魔力が渦巻く様を」
模造品の竜は元の漆黒の肌色ながら、その大きな異形の姿を失い、ジュエと全く同じ姿、そして顔を纏って立っていた。
「…何を…した…?」
引き続き酸欠に喘いで這い蹲り、口から黒い絵の具を吐き出しながらも、ジュエは自身と瓜二つに変貌を遂げた紛い物の竜を睨みつける。
「魔力は血とともに体内を巡る。その源、肉体の核たる心の臓腑を半分頂いた」
模造品の竜の言葉に応えるように、ドクンと強くジュエの心臓が脈動した。
身体中の血管隅々に、心臓から順に灼熱のマグマが流れ満ちるような、内から身体を焼かれる激痛にジュエはのたうち回る。
「姿形だけではない。2つの命を一つに混ぜ合わせ、腑分けたのだ。伝承に謳われる、『竜』と等しい存在となったことを、誇るがいい」
それ以上語らず、変わらず続く変革の激痛に意識を手放したジュエを残して、紛い物の竜は未だ黒炎のくすぶる廃墟をあとにした。
苦々しい回想に、ジュエの奥歯が噛み締められ、ギシリと音を立てる。
「それ以来アタシは、この出鱈目な身体をひきずって、アイツを追い続けてきた。…アタシ自身も、ドロウモンスターみたいなもんなのさ」
だから、絵の具を飲んで傷が治った。
「紛い物…ドロウモンスターとはいえ、ドラゴンクエストってか…」
尋ねまいとしていた問の答えが、呆気なく明かされ、予想打にしなかった話のスケールに、全てに合点がいって尚も、キャトルはただただ途方に暮れるのだった。
続く