そして、真にその時の出来事を知る者は、ただ一人、いや、ただ一体の魔物を除いて他にはいない。
キャトルはただ静かに、遠ざかるフィズルの足音に耳を傾ける。
こんなにも緊張しているのは、いつ以来だろうか?
キャトルの人並み外れた聴覚でもフィズルの足音を追えなくなり、それからやがて5分としないうちに、キャトルのもとへ一人の男が現れる。
キャトルに並ぶ長身、年の頃は30前後といったところだろうか。
「…ようやくお出ましか、ダムド」
キャトルは背を向けたまま、『スコーピオン』のヘッドである男に、剥き出しの敵意を込めた声をかけた。
「あれぇ?ボス、もしかして、今回のこと、バレてました?おかしいなぁ、巧妙に偽装したハズなんですけど」
「バレてるも何も、最初っから全部だよ。竜の出来損ない」
ダムドの表情から、薄ら笑いが消える。
そして口調に声色までもが変容した。
「…不思議なのだが、随分と早い段階から、アタシをマークしていただろう?早々に『スコーピオン』のヘッドに据えられたことで、お前との接点が増え、随分と難儀したものだ」
「いくら変装の名手ってもな。骨から違うレベルで変貌するなんざ、有り得ないわな」
「ああ、少しやりすぎたかな?モシャス系統の呪文と言えば誤魔化せると思っていたが…そうか、あの呪文の系譜は途絶えていたのだっけ?」
ボソボソと喋りながら、両手で自らの頭を掴み、セミの骸に群がる蟻のように指を這い回らせていたが、唐突にゾブリと音を立て、その指先が顔面に喰い込む。傷口と呼べるかも分からぬ裂け目から溢れ出るのは、腐った血を煮詰めたような黒い液体だった。
「それにな。もっと、簡単な話だ。…臭いんだよ、お前は。死体とヘドロを混ぜたような…とにかく、酷く臭い。無理やり唇を奪われたときに嗅いだあの臭い…忘れるものかよ」
侮蔑の言葉を吐き捨てて、キャトルは右手にエンシェントククリ、左手にグラディウスを逆手で抜き放つ。
「ずっと待ちわびた。お前の封印に失敗したあの日から、今日この時の為に、俺も、あいつも…」
間合いを取りながら、苦々しく吐き捨てる。
「あいつ、あいつ、ああ、ジュエは…アタシの半身は、やはり死んだのだな?致し方あるまい。アタシの身体もろとも、心の臓腑を自ら絵に封じてしまったのだからな。…ふむ。なら、お前も寂しかろう?再会に相応しい顔でお相手しようか?」
荒々しく粘土の塊を押し潰すように頭を捏ねくり回したのち、現れたのは、ジュエの顔だった。
「…貴様ッ!」
いかなる時も、冷静沈着。
サンドストームを率いて以来、鋼でできていると評される男が、このときばかりは激しい怒りに我を忘れた。
最愛の人を、勝手に自分の半身などと宣い、挙げ句その姿に化けて愚弄する。
断じて許容できるものではない。
模造品の竜はあいも変わらず、その身から死霊系のドロウモンスターを放つ。
大口を開けて迫るスカルゴンのあぎとに、むしろ飛び込むように突っ込み、そのまま顎関節を両手のナイフで打ち崩す。
そのまま身体を錐揉み回転させて、残るスカルゴンの骨格も内側からざんばらに切り砕く。
その狭間で、遠くからメラゾーマを放とうとするワイトキングの眉間に、左手のグラディウスを投擲し黙らせた。
降り立ったところへ間髪入れず覆いかぶさろうとする3体のくさった死体を、屈んだ姿勢から跳ね上がるように踵で蹴り上げ、次に立ち塞がるじごくのきしが剣を振るう前に横一文字にエンシェントククリで薙ぎ、崩落させる。
模造品の竜とキャトルの間に、障害は無くなった。
あと少し。
ほんの数センチで、振るったエンシェントククリの切っ先が竜の首を捉える。
だが、その数センチは、縮まることはなかった。
続く