その後も折りをみては逃亡を図ったり、ありもしない体調不良を訴えたりと、紆余曲折とフツキの多大な努力の末、グレン領西の端、今二人の目の前には古びた酒場が佇んでいる。
「これは…廃墟…ではないですよね?」
砂漠に見つけたオアシスの如く、荒野にぽつんと漏れ出る赤い光は心を和ませるが、不自然な灯りの出方に目を向けると、どうやら屋根のど真ん中に大きな穴がポッカリと開いているらしい。
灯りがなければ完全に廃墟と勘違いするところである。
「フツキ君、私はその、何だ、ここで待機してるから」
最後の抵抗とばかりに、岩陰に隠れ、ひょっこりと顔を出しているフィズル。
「そろそろ本気で、縛って引きずっていきますよ?」「ぐぬぬ…」
いよいよフィズルが観念し、トボトボと歩き出した瞬間である。
「何だァ?ブタ箱に居るはずのバカ息子の匂いがするぞ!?」
ばんと勢い良くウェスタンドアを跳ね飛ばし、目付きの悪い酒場のマスターが姿を現す。
「ぎゃああああああッ!!出たァ!!」
フィズルはまるでオバケでも見たかのような悲鳴をあげると、一目 散に走り出しては次の瞬間にすっ転ぶ。
「…何やってんだあの馬鹿は」
白髪に豊かなヒゲを蓄えたマスターは、呆れた顔をフツキに向ける。
「俺に聞かないでください…」
ああ。
静かな処で穏やかにコーヒーを飲みたい。
面倒臭さのあまり現実逃避に至るフツキであった。
「…なるほどね」
ややあって、何度も逃げだそうとする為に、マスターの手により椅子に縛り付けられたフィズルから、だいたいの事情が語られた。
「しかし…。キャトルからは一番信用できる奴に取りに行かせると聞いてたが。まさかお前が来るとは予想外だったなァ?」
あらためてマスターは息子を蛇のごとくギロリと睨みつけるものだから、フィズルはカエルのように縮み上がる。
「いや、お前がキャトルんところにいるとは知ってたがね。…そりゃ、最初にキャトルから話を聞いたときは驚いたもんさ。俺の酒場から他の大陸にヤサを移したキャトルのところの新入りが、どう考えても、メギストリスのアカデミーに居るはずのお前だったんだからな?」
「いやぁその…教授の方々と少し揉めまして…」
ここまでくれば、あれだけフィズルがしぶっていた理由も白日の下である。
「するとあれですか、アカデミーを勝手に退学して、傭兵団に加わって…」
指折り数えるように、フツキは一つ一つ丁寧にフィズルの足跡を辿る。
「フ、フツキ君、そんなに仔細を述べなくてもね…」その指摘一つ一つがザクザクとフィズルを切り刻む。「挙げ句ヴェリナードで暴れ回ったらしいじゃねぇか?」
「うっ…」
トドメの一撃は父から放たれた。
「…はぁ、まあいい。それよりも、俺が生きてるうちにアレを取りに来る奴が現れてくれて、正直ホッとしている所だ。ほらよ」
マスターは本当に何気なく、つまみのピーナッツでも差し出すようにカウンターから包みをテーブル上に投げて寄越す。
「「そんなサクッと取り出せる所に!?」」
思わず驚きが重なる二人。
「こういうのは何気ない所に置いとくのが秘訣だったりすんだよ。それとな…おい!」
マスターはくるりと振り返ると、カウンター奥、薄暗い廊下に向かって声をはりあげる。
「俺は偶然なんてもんは信じてないタチでね。どうせ知り合いなんだろ?」
運命というものは、雪崩にも似ている。
起こらないときはただ忘れ去られたように平穏で、しかし、僅かなきっかけがあれば途端に大きく止めようの無いうねりと成り果てる。
だとすれば、今日ここに集いしは、導かれし者たちである。
無関係なはずがない。
「いよぅ、お二人さん」
マスターの呼びかけにつられて、軽薄なミイラ男が姿を現すのだった。
続く