「おいフィズル!」
声が届くギリギリで、その背をマスターが呼び止めた。
「はひ!!」
「お前がこれから危ない橋を渡ろうとしてるのはわかる。かと言って、それをとめるつもりもねぇが…死ぬんじゃねえぞ」
フィズルに向けたマスターの言葉。
それはかつて、キャトルとジュエ、そして彼らの幼き子供が旅立つ日に送った言葉と同じだった。
「どんだけ俺に迷惑をかけようが、ブタ箱ん中にいようが、構わねぇ。ただこれだけは、破るんじゃねえぞ」
「ああ、わかってるよ」
去り行く後ろ姿に思いを馳せるは、遠い昔の友の旅立ち。
「…本当に分かってんだろうな?アイツは」
酒場の外に放り出してあった安楽椅子に飛び乗り、懐から古ぼけた一枚の写真を取り出す。
フィズルは勿論、他の誰も知らない、マスターだけに託されたキャトルの本当の宝物。
自らが囮となるにあたり、我が子を危険に晒さぬ為、自分とジュエ、そして息子との繋がりを示すものを処分し、最後に残った一枚の写真。
それは、まだ産まれたばかりの赤子をおっかなびっくり抱き抱えながら撮影した、家族の写真だった。
何でもかんでも有り合わせで済まそうとしたものだから、赤子をくるむには不釣り合いなギンガム柄の布が特に目を引く。
「全てが終わったら、三人でそれを返してもらいに来る。そん時は、どうせ錆まみれになってるだろうから、ナイフの方は棄ててくれ」
「馬鹿タレ、まとめて突き返すからてめぇで処分しろ」
キャトルは、あいも変わらぬ乱暴なやりとりに、満足したような笑みを浮かべた。
それが、マスターの知るキャトルの最後の姿。
「…どいつもこいつも、馬鹿野郎が」
キャトル以外の誰かがナイフを取りに来たということは、そういうことなのだろう。
背を椅子に預け、マスターは帽子を脱ぐと顔に被せる。
安楽椅子に規則正しくゆられながら、友の死を悼んで流したマスターの涙は、帽子に隠れて人知れず乾いていくのだった。
続く