大きなクエストが終わった…はずである。
ヴェリナード上空に突如現れた不気味な月は、遠く離れたここ、オーグリード大陸からも確認できた。
続け様に、やれ巨大な化け物が出ただの、ヴァース大山林が抉られただの、嘘か真かわからぬ噂話が出ては消え、既に幾ばくか日が過ぎている。
そして現に、海底離宮から帰還した冒険者の一人、エルフのフツキは今まさにクマヤンの目の前で、主にロックや水割りの提供に使われる、直径が長く、深さのあるグラスを傾けている。
インフューズドコーヒー。
お酒や果汁などにコーヒーの生豆を漬け込み、風味や旨味をコーヒーに移す技法。
コーヒーには造詣の深いフツキだが、お酒となればそうはいかない。
フツキからのリクエストを受け、クマヤンが厳選し、長い時間を経てついに完成した酒場ならではの一杯を、フツキは味わおうとしていた。
店内にはオルゴールアレンジされた『おおぞらをとぶ』がしめやかに流れ、未知の味わいと向き合うフツキの心を高鳴らせる。
コーヒーの香りの影から唐突に存在感をアピールするは、豊かなバーボンの風味。
内側を焦がしたホワイトウッドの樽で漬け込まれた大人の味わいが、見慣れた琥珀のゆらめきの中に溶け込んで、また新たな一面を覗かせていた。
わずかに残るアルコールの気配を肺いっぱいに吸い込みつつ、口に運ぼうとしたフツキ。
それを邪魔するように、パリンと乾いた音が鳴り響く。
「…」
クマヤンを一瞥したあと、気を取り直し再び頂こうとして、しかし再度、クマヤンが磨いていた皿を取り落とし、パリンと割れる音に妨害を受ける。
クマヤンが、らしからぬミスを繰り返すようになった原因、それは、フツキ達100人の冒険者が、海底離宮へ向け旅立つ、少し前のこと。
「ヴェリナード城は、ここでいいのかしら!?」
まず大陸が違う。
そして建物の外観も、どこをどう見ても城ではない。
そして何より、扉のノックは長大な両手剣で行っていいものではない。
クマヤン酒場のウォールナットブラウンのシックな扉は、紺と黒で夜の闇のように染めた暗い色彩の鎧に身を包んだ女冒険者、かいりのびっくばんにより無惨に姿を変えていた。
かくして慌ただしく訪れた闖入者の肩には、アストルティアでは滅多にお目にかかることの無い、マユミと同じ妖精族の姿があったのである。
そしてそれは奇しくも魔鏡の一件で関わりをもった、ぱにゃにゃんだった。
久々の再会、積もる話もあるだろうと気を利かせ、クマヤンが黙々と扉の修理に専念している間に、何故だかマユミはかいり達に付き添いヴェリナード城までの道案内をすることになり、そのまま姿を消してしまったのだ。
以来、空っぽのマユミの家を眺め、心ここにあらずなクマヤン。
やはり妖精同士、同族と冒険する方が、楽しいのでは?
吟遊詩人的にも、妖精の隣は華やかな女戦士の方が望ましいのではないか?
グルグルと詮無い思考に囚われ続けている。
結局、マージン対策の耳栓を身に着けてコーヒーを呑み干したフツキの傍らで、クマヤンは皿の残骸を量産し続けたのだった。
しかしてのち、クマヤンの頭髪にゴールドコイン大の禿を生じさせるほどの心配は杞憂に終わり、初代クマヤンの再来、稀代の伝説武具商人などとクマヤンがその名をアストルティア中に轟かせ、その傍らには賑やかな妖精の姿があったと並び語り継がれるようになるのだが、それはまだしばらくは先の話である。
~完 しかし冒険は続く~