まだ仕込みの最中で、表現は悪いがむわっという擬音が相応しいほどに濃密な鰹の出汁の薫りが充満する、夜明け間近の狭い蕎麦屋の店内に、ロマンと彼に宿から連れ出されたアレスとヒッサァの姿があった。
巨竜樹の一枚板を贅沢に用いたカウンターテーブルをロマンが製作した縁あって、特別に開店前に通された席で、3人は朝食を待つ。
「すまねぇな、ご両人。35過ぎて夜通し工房に籠もっちまうと、流石に保たなくてな。体力補充させてもらうぜ。店主は見かけ通り口もカッチカチだから、内緒話にも丁度いいんだこの店」
涙に腫れたロマンの瞳が気になった二人だが、漢の涙の理由を問いただすほど野暮ではない。
「…あいよ、お待ちどお」
ロマンの軽口の通り、角刈りも相俟って真四角にすら見える頭のドワーフの店主が、どんと三杯のかけ蕎麦をテーブルにのせる。
トッピングは葱のみを散らした、シンプルな一杯。
材料は鰹のみ、しかし一番二番を重ね掛け、重厚に仕上げた熱々の出汁の中に蕎麦がゆったりと浸っている。
箸でゆっくり蕎麦を引き揚げれば、つなぎに混ぜられた海藻の滋味が鰹に負けじと顔を出した。
加えて海藻由来のごくごく僅かなとろみが表面を滑らかにしており、まるで飲み物のようにスルスルと蕎麦が胃へ流れていく。
運ばれてきた時には、この時間帯に頂くのは少々重たいかと感じていたアレスとヒッサァだが、ズゾッと小気味良い音を立てすするロマンにつられて、あっという間にペロリと蕎麦を平らげた。
そこへタイミングを見計らい運ばれてきた小ぶりな茶碗。
熱々の白米の上で山と積まれた鰹節が湯気に煽られ艶かしく踊っている。
残った汁を回しがければ再び鰹が香り立ち、そちらも一瞬で3人の胃袋へ消えていった。
「ふう、良い感じに頭が回ってきたぜ」
シャキッと目を見開き、バンダナを締め直すロマン。
「何だろうな、この素朴だが満たされる感じ…。何故だか、妹がよく作ってくれた料理を思い出したよ」
共通点は麺類ということの他はない。
しかし脳裏に浮かぶ、懐かしい孤児院の風景。
シンプル、という言葉で取り繕うのはいささか厳しい質素なテーブルの上に山と盛られたバランスパスタは、大事な家族、アナスタシアの得意料理だ。
「作り甲斐があるねー。うふふ」
もりもりと勢い良く口へ運ぶアレスの姿を、アナスタシアは頬杖をつきながら耳のヒレを揺らし、飽きることなく見つめていた。
思い出に浸り穏やかに微笑むアレスの横で、ヒッサァもまた頬を緩ませる。
(…絶対にまた来よう)
良い店を知った。
食後の蕎麦湯をすすりながら、ヒッサァもまた幸福感に浸るのであった。
続く