アストルティアの大自然は未だ底が知れない。
しかし、流石に薄ピンク色のサメは居ないだろう。
こんなんでいいのか?
しかしそんなヒッサァの疑問とは裏腹に、水中に姿を晒し、戯れに垂れ下がるルアーを引いて見せれば、桟橋からわっと歓声が上がる。
まあ、喜ぶ人がいるのなら、本物に寄せるつもりが感じられないやっつけ感の漂うサメの着ぐるみを身に着けた甲斐はあった。
そう自分に言い聞かせ、ひたすらに役割を全うするヒッサァであった。
釣りの後は勿論、新鮮なうちに釣果をいただくに限る。
着ぐるみを脱いだヒッサァはエプロンをまとい、休む間もなく調理にあたる。
ヒッサァの担当する食材はイベントを賑わすついでに潜って採った2種の貝である。
左右均一にまるまると膨らんだ、拳の半分ほどにも及ぶ大きな二枚貝。
わずかに開いている貝殻の隙間にすっとナイフを差し入れそのまま奥まで両断し、蝶番を力づくで割り開く。
さすれば片側だけでも一匹の貝と見紛うほどのぷっくりとした身が姿を現す。
左右の貝柱を殻に沿って切り離し、紐の隙間、胃の裏側など砂の貯まっていそうな箇所を綺麗に洗えば、ウチムラサキ、通称大アサリの下拵えは整った。
貝殻を皿代わりに、そのまま網の上に載せる。
炭火で炙られふつふつと殻の中に海のエキスが滲み出し沸騰してきたあたりでさっと醤油を垂らしたら、テーブルに引き上げレモンを絞って完成である。
そしてもう一種。
固くその口を閉じているはまぐりに大アサリ同様刃を入れるのは、本職ならいざ知らずヒッサァには骨が折れる作業だ。
それに、大アサリと同じ浜焼きでは芸もない。
開いた魚で賑わう広大な網の隅に小鍋を置いて、米から作った酒を浅く敷く。
そこへ殻をよく洗ったはまぐりを入れ、殻の3分の2までが浸かる程まで水を足して蓋をする。
やがて沸騰しアルコールが飛んだあたりで、熱に敗れたはまぐりが降参とばかりにぱかっと口を開いたら、酒蒸しの完成である。
味見の為、はまぐりの出汁でたっぷり旨味を蓄えた煮汁を小皿にすくい口に含めば広がるは、海の滋味と祖父の思い出である。
「たまたま手に入ったから、冷めないうちに食え食え。旨いぞ」
海など程遠いこの地で、そんな偶然もあるまいに。
一年のほとんどを放浪に費やす祖父であったが、必ずヒッサァの誕生日には何かしらの珍しい食べ物を携えて帰ってきた。
薫りが部族の皆を引き寄せ、それぞれが食べ物、飲み物を持ち寄って、あれよあれよという間に宴が始まる。
そして誕生日ということでその中心に祀り上げられ、毎度嬉しくも気恥ずかしい思いを味わったものだ。
「…どうした?ぼ~っとして」
不意に主催者から声をかけられ、サザエの肝のように甘苦い回想から引き戻される。
「あ、ああ、いやすまない。何でもないさ」
「ふん?まあいいか。それにしても今日は助かったよ。せっかく遊びに来てくれたお客さんを、ボウズで帰すわけにはいかないからな」
「あ~…良かったのかな…あれで」
結局、珍種ピンクヒッサァメは釣られるわけでもなく浅瀬を周遊しただけなので、本当に役に立ったのか、未だ懐疑的なところである。
「ささ、酒の方も準備できてる。あとはたっぷり、お前さんも楽しんでいってくれ」
「ああ、ありがとう」
そうしてまた他のメンバーに声をかけてまわる主催者を見送るヒッサァ。
あたりに広がる風景、たくさんの笑顔は、幼き日の思い出に瓜二つである。
「誕生日、おめでとう」
祖父の優しい言葉が聴こえた気がするのは、この場の雰囲気にあてられたか、それともはまぐりの香りとともに漂う酒気に酔った故か。
しかし確かに届いた祝いの言葉を噛み締めながら、宴に加わるヒッサァであった。
~Happy Birthday~