油断はなかった。
だが、想定が甘かったと言われれば、認めざるを得ない。
あれほどに被害報告、目撃情報がありながら、その全てが夜に集中している。
ヒッサァをして上回るほどの巨大な骨の塊が、どうやって日中見つからずに身を潜めていたのか。
果たして、走行中の馬車の下に展開された魔法陣から、召喚された悪魔の如く白き化物は姿を現した。
化物は魔力で異空間を生み出し、その中からこのように自在に出入りをしていたのだ。
衝撃で腸を食い千切られるように舞い上がった馬車は既に木っ端微塵。
受け身も取れず地に打ち付けられた同行者達は散り散りに倒れているが、皆、息はある。
それを胸の動きでちらりと確認した後、あらためてヒッサァは敵を見定める。
「…白い化物…なるほど確かに」
皮膚、肉の一切を持たない白骨。
何が近いかと言えばスカルゴンの系統であろうが、魔物然とどっしりとはしておらず、そのシルエットは非常にスマートだ。
用をなすことはなかろうに、かつて大空を舞っていた頃の名残か、時折、左の片翼だけ残された背に浮かぶ鎌のような骨がはためく。
スカルゴンとの相違と言えば、その背の骨も、竜のものというよりは鳥のそれ、腕の骨に近い構造をしており、サイレスのような鋭い嘴も顔面に見受けられる事から、スカルゴンの転生体と断じるには鳥系モンスターの亜種という線が捨て切れない。
言葉が通じるかどうかは既に試した。
武器を構えたままの非礼を詫びつつ、部族の名乗りをし、怒りを鎮めて頂くよう嘆願を行ったが、僅かにカチャリと骨が鳴ったのみ。
そうして睨み合いは、長くは続かなかった。
槍を棍のように構え瞬きもせず出方を伺うヒッサァに対し、化物は4本指の拳を固めて殴りかかかる。
右、左、右、右、左と、フェイントを混じえつつ矢継ぎ早に振るわれる巨腕をヒッサァは槍の柄で受ける。相手が徒手空拳というのは手の内が読みやすく、ありがたい。
「…っと!?油断大敵ですね」
拳の乱打、その間隔が少し空いた瞬間に、まるでそれ自体も別の魔物であるかのように翼の部分から火球が放たれた。
上段から迫りくるそれを槍の石突で突くと同時に掻き混ぜ霧散させる。
その高熱による陽炎の向こうから、後ろ回りの遠心力を乗せた刺突のような鋭い蹴りがヒッサァを襲う。
「…姫、にしては随分と、手癖足癖が悪いのでは?」間一髪、二の腕と胴の間を擦り抜けた爪先が、部族のエンブレムをあしらったショートマントの端を切り裂いた。
そのままガシッと脛を捕らえようとしたものの、素早く脚は抜き去られている。
「ふぅ。果たして、ダメージが通っているのかどうか…」
化物を構成する骨は非常に堅く、斬撃は効果が薄いと判断し石突による打撃を軸に幾度か攻撃を見舞っているが、この手の相手の厄介な所、表情が無く、その動きも筋肉に依らない為に、ヒビでも入ってくれればともかく、ようとして戦いの果てが見えない。
どうしたものか。
荒い息を整えるべく、ヒッサァが大きく息を吸った瞬間。
「…カミ………イ…」
何かに呼ばれたようにぐいと背を伸ばし、ぼそぼそと呻きを漏らすと、ヒッサァなどまるで意に介さず化物は彼方へ瞳なき視線を向ける。
「…!?待て!」
現れた時と同じ、紫に胡乱な光を漂わせる魔法陣が広がり、止める間もなく化物は地へ沈むように姿を消してしまった。
「…逃したか」
あるいは、見逃してもらったか。
最後の所作が気になるが、まずは怪我人の手当だ。
加えて、次の遭遇に備え、敵を知らねばならない。
「う~ん。神職の方は朝が早いからな。ジュレットに戻る頃には、起きていると良いんだが」
化物の特徴、鳥といえば、頼りになる友人に心当たりがある。
黄金鶏神社の電話番号は何番だったか。
仲間の手当を行いつつ、記憶を手繰るヒッサァであった。
続く