「…ほら、そろそろ帰ろう。フタバ」
「兄上、待って!」
祭り囃子が鳴り響き出店の立ち並ぶ境内を抜け、鳥居をくぐる兄の背を追いかける。
「綺麗だね、フタバ」
夏の日長とはいえ、既にあたりが暗くなって久しい。幾重に吊り下げられた提灯の暖かくも怪しい光もここまでは僅かにしか届かない。
それでも目の前の小川を舞う蛍たちの放つ明かりで、兄の言う通りあたりは幻想的に照らされている。
兄に続いて、確かに鳥居をくぐり、外へ出たはずだ。しかし途端に視界が暗転した次の瞬間には、時間が巻き戻ったかのように、境内の蛍舞う小川の前へと逆戻りしてしまった。
「あ~~~っもう!また!!!」
フタバは癇癪を起こし浴衣が乱れるのも構わず地団駄を踏むが、もちろんそれで事態が解決する筈もない。そうして頭を抱えるフタバだけを取り残し、記録映像を見ているかのように、兄であるハクギンはひとしきり蛍を眺めたあと、今はそこにいないフタバに話しかけ、境内を抜けて鳥居をくぐって姿を消す。
繰り返しだ。
兄と蛍を眺め、出店が建ち並び賑わう境内を通って、鳥居をくぐる。
その、僅か5分ほどの時間。
フタバ1人だけを蚊帳の外に、既に数え切れない回数、その5分が繰り返されていた。
フタバは単純だが、そこまで馬鹿でもない。
何度も続く繰り返しの中で、分かったことがいくつかある。
まず1つ、現在フタバを取り巻く世界は、最初の兄とのやり取りをそのままに繰り返している。
そしてその繰り返しのスイッチは、兄と自分が鳥居をくぐることである。
試しに兄を置いて鳥居を一人で抜けてみたが、途端に身動きの取れない暗闇に包まれて、やがて恐らくは兄が鳥居をくぐったであろうタイミングで小川の前まで引き戻された。
逆に、兄を追わず、ずっと時間が過ぎ去るのを待ってみたが、程なく再生を止めたレコードのようにピタリと世界は静止してしまい、やはり解決には至らなかった。
結界か、異空間か、何かしらに囚われていることは間違いないが、きっかけが何なのか、抜け出す鍵は何なのか、そのあたりが皆目検討がつかない。
ケラウノスをつれていれば、ドルセリンが売店で販売されていれば、あるいは力技で何とかなったかもしれないが。
とにかく、時間だけは無駄にあるのだ。
どうせ時間が巻き戻れば、浴衣の乱れも直っている。ケラウノスが見たら眉をしかめる程、はしたなく胡座をかくと、フタバは今日これまでの1日を振り返るのであった。
6月30日、昼下り。
「ケラウノス、どうだ!?」
フタバは星空の浴衣をまとい、ケラウノスに見せつけるようにくるりと回る。
「…似合っている」
ケラウノスは今朝から16242回目にもなる同じ回答を返した。
近くの神社でひらかれている、七夕のお祭り。
七夕当日は劇があり都合が合わない為、兄であるハクギンとこのあと2人きりで祭りに繰り出すのだ。
お風呂にまでケラウノスを連れ込むフタバとしては極めて稀な事態であるが、笹飾りに願いを書いた短冊を吊るす民間行事にフタバはいたく関心を抱き、ケラウノスを背負っていては、願い事を見られてしまい願いが叶わなくなるのを恐れた結果、ケラウノスのお留守番が決定した。
願い事を知られては叶わなくなるというのはまた別の話ではあるが、そこまで区別がついていないあたりがまたフタバらしい。
やがて夕方、かたや兄は甚平だが、劇団の家族が選んでくれて柄はお揃いである。
祭り囃子に誘われて、これまたお揃いの下駄を鳴らし、神社へと繰り出したのであった。
普段から貯めているお駄賃を解禁し、綿菓子に牛串、射的、ブドウ飴、たこ焼きや焼きそばの屋台を巡り、ドラキーのお面を引っ掛けて、やがて本命である長い石段手前の笹飾りへと辿り着く。
「絶対に見ちゃ駄目だぞ、兄上」
「はいはい、大丈夫だってば」
やや呆れ気味な兄としっかり距離を取り、人間不信な野良猫よろしくあたりにキョロキョロと視線を配りながら、ようやく苦労して完成させた短冊を懐から取り出した。
『兄上とずっと一緒にいられますように』
午前中、ケラウノスに目隠しをして最初はそう書いたのだが、兄上と記して果たして神様とやらに伝わるだろうかと疑問に思った。
『ハクギンとずっと一緒にいられますように』
書き直したところ、恥ずかし過ぎて機体温度が急上昇し、何事かと視界を奪われたままのケラウノスから警告のメッセージを送られた。
『ハクギンと手を繋げますように』
書き直しももう何回目かわからない頃になってようやく、短冊に託す願いは最初に比べ随分大人しくまとまったのであった。
続く