思い出せる最初の記憶は、リザードマンの巣の中だった。
実の親兄弟と思っていた彼らと自分に血の繋がりがないことに気が付くまで、さして年数はかからなかったと思う。
なにせ、一目瞭然だ。
竜の頭をしていながら、鱗の一枚も無い身体、そして背中には翼もない。
まだ幼い身で譲り受けた蛮刀一つを携えて育ての親に別れを告げた理由は、そう長くない年月の間に呆気なく擦り切れた。
村落を巡り、またはモンスターの住処を訪ね、その度に奇異の目を向けられ、石つぶてと拒絶の声を投げられた。
そうして、自分が生まれた由縁など今更知りようもなく、加えてどうせろくなものではないと悟ったからだ。
アストルティアの民でも、モンスターでもない。
しかしこの歪な身でも腹は減る。
気が付けば、自らのおぞましい容姿と化物らしく恵まれた体躯で、日々の糧を他者から奪って命を繋ぐようになった。
何事も、慣れた頃が一番危うい。
ある日、忍び込んだ先で住人に見つかってしまい、手傷を負った。
彼女に出会ったのは、集落の出口を塞がれ途方に暮れていた、そんな時だ。
さして大きくはない集落だが、長と思しき者の館は集落に不相応に立派な造りだった。
モンスターではなく、同じ種族に攻められることを想定したものだと、経験で察した。
まだ運が向いている。
こういう屋敷にはたいてい、抜け道が用意されているものだ。
目論見通り地下へ通じる隠し階段を見つけ、狭苦しい道を通るうち、違和感を覚える。
階段こそ岩肌が剥き出しで、屈んで進まねばならぬ程だったが、その先は板貼りに舗装され進むにつれ地上の邸内と変わらぬ豪奢な造りとなっていく。
埃一つなく清掃の行き届いた様相は、頻繁に人の出入りがあることを示していた。
かなり深い位置のはずだが、換気も充分なのだろう、もはや廊下と呼んで差し支えないそこには、左右に行燈まで規則正しく並べられている。
そしてその果てで、俺は彼女と出会った。
「見ない顔…新しい世話係?…いえ、であれば刀など持たない。物盗り?そうね、高価な物がここには揃ってる。ただし生憎様、私の命は棄てる時が決まっているの。それ以外は、好きにするといいわ」
巻きのまま雑に詰まれた反物、山と重ねられている花鳥風月の描かれた飾り皿はどれもふんだんに金が使われて、水晶や宝石で出来た拳大の大量の岩くれが無造作に転がる。
どれか一つだけでも、売り払えば一生食うに困らないだろう。
しかしその時の俺は、金銀財宝を何一つとして気にもとめず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
この世の不幸を全て煮詰めたような憂いを秘めた彼女の瞳に、何もかもを飲み込まれていたのだ。
「…どうしたの?早くなさい。夜明けが近付けば人が来るわ」
「………綺麗だ………」
「は?」
呼吸すら忘れていた喉元から、無意識に言葉はまろび出た。
発言したとうの本人すら意図していなかったのだろうか。
顔を真っ赤にして逃げていく男の背中を見送り、再び一人物思いに耽る。
何て酔狂な男なのだろう。
この醜い一本角の奇怪な私を綺麗だなどと、美的感覚がおかしいに違いない。
まあ何にせよ、もう二度と会うこともあるまい。
しかしそんな諦念に反して、その後も彼は私のもとへ通い続けた。
忍び込むのも骨であろうに、ある時は花を、ある時は詩を、ある時は土産話を携えて。
彼にとって、自らの姿を見ても欠片も動じない相手と出会うのは、育ての親兄弟以来のことだったらしい。
互いに醜いと迫害されてきた者同士の慰め合いと言われれば、そうなのだろう。
それでも、彼と過ごす時間に、生まれて初めての確かな安らぎを感じている自分がいた。
18の齢を数えるまであと僅か。
この身は天魔を鎮める為の生贄となろうとも、残る世界に彼が居るのなら、悪くない。
私の人生は、上等だ。
そう思えたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
悔やむのはあとだ。
今はまず、やるべきことがある。
この娘も4本の角を持つ特異なる身の上ゆえか、憑依するのは簡単だった。
彼を切り裂かんと迫る刀は速く鋭い。
しかしもはや魂だけとはいえ、一度魔物に身をやつした私にとって、追えないものではなかった。
閉じた鉄扇の先を添えるように刀へ向ける。
吸い込まれるように止まったそれを払い除け、返す手で冷気を放つ。
その瞬間、僅かに身体の主が抵抗を見せた。
どうやら刀を握る相手は近しい存在らしい。
それがなければ、もう一人の女剣士ともども、危うく殺めてしまう所だった。
今の彼の姿を見れば、刀を握るのも当然だ。
彼女らに非はない。
私も彼も、望みは同じ。
ただ穏やかに、2人きりで眠りたい。
充分に間合いもとれた。
逃げ遂せるだけの時間は充分に稼げるだろう。
げに憎きあやつが現れたのは、その瞬間であった。
続く