「こいつは確かにひでぇな…」
依頼主の前では口にできなかったが、大棟梁ことアストルティア随一の大工、ロマンは向かって左の向拝柱に手をあて、頭上を見上げてうめいた。
初詣で訪れたオース大観音から少々南、8が入る日恒例の朝市で境内が賑わうゴボウ別院の本堂を訪れていた。
寺院建築の様式の一つ、和様のお手本のような造りの本堂はとても巨大かつ荘厳で立派なものであるが、長きに渡り人々を見守り続けた帰結として、経年による構造材の歪みや腐食、白ぐんたいアリの被害など、様々な要因が重なり、建物として看過できないダメージが蓄積してしまっている。
ようやく修繕に着手しようと各地の名だたる宮大工に打診を行うも、彼らをして解体、更地にした上で1から建て直したほうがよいと診断せざるを得ない状態で、巡り巡ってロマンの元へも修繕プランの見積もり依頼が舞い込んだ。
寺社仏閣という性質上、もとを活かしたいという寺院側の想いも痛いほどよく分かる。
分かるがこれは、如何したものか。
「…ん?」
腕を組み首をひねったところで、ロマンはふと参拝客らしからぬ人影に気が付く。
賽銭箱の近く、落ち着いた深い藍の着物に身を包んだ老紳士が、白いカラスを伴い立っていた。
八咫烏に代表されるように、カラスは導きの神、太陽の化身とされ神聖視されている。
中でも白いカラスはとっておきだ。
信じられないほど幸運な出来事の前触れとされている。
なにせ、白いカラスなど、有り得ないからである。
「爺さん、よく出来てるな」
「そうじゃろう?」
白いカラスの身体のあちこちからごくごく細い糸が上に伸び、それらは老紳士の手に握られた細長い板を組み合わせた手板に繋がって、シンプルな構造ながら、実に表情豊かに白いカラスを操っていた。
その所作は、遠目では本物と全く区別がつかないほどである。
ただ、一点を除いて、ではあるが。
「…脚、調子が悪いみたいだな」
「ああ。長い、本当に永い付き合いだらな。ガタも出るさ」
唯一、白いカラスの右脚だけは何かが引っかかったように、ぎこちなく遅れ不自然な動きをしていた。
「直さないのかい?何なら、俺っちが…」
ロマンの申し出に対し、老紳士は哀愁漂う僅かな笑みを浮かべた。
「直すとなると、身体の一部を取り替えてやらにゃならんだろう………それは、忍びなくてな」
竹の骨組みに紙細工の肉や羽毛、操り糸の一本にまで、この白いカラスには、老紳士の想い出がみっちりと詰まっているのだろう。
「…確かにそれは、かけがえねぇわな」
「さて、儂はこの子と市を巡る。せっかくの機会だ。お前さんも、楽しんで来ると良い」
「いや、俺っちは仕事で…」
不意に、強い風が吹いた。
目元を撫ぜたその風に瞳を庇い、再び目を開くと、まるで夢であったかのように、老紳士と白いカラスの姿は消えている。
狐につままれたような気分にポリポリとうなじをかきながら、修繕のアイディアを練るついでと自分に言い聞かせ、石段をくだる。
すぐさま鼻をくすぐる燻製の香りにつられ、沢庵の燻製を買い求めた。
カッパーに染まった大根の漬物は燻しの薫りと苦味が相まって、炎天下の中、程良い塩分補給にもなった。少しシャッキリした頭で周りを見渡せば、なるほど面白そうな出店が沢山居並んでいる。
追加で買い求めたささみの燻製を葉巻のように齧りながら、本格的に市へとくりだすロマンであった。
続く