(格闘だけの手の硬さではない…爪…いや…この足運びは槍もか…)
ゴングとともに両者は弾かれたように距離をとる。
単純な強さだけでなく、掌から読み取れる内容は実に多岐に渡る。
牽制しあううちにも手に入る情報を逐次追加して、イルマはマユラの本来の得物を冷静に推察した。
対外試合に勝手に参加し、さらに徒手空拳以外も嗜む相手によもや負けたと知られたら、その後の義母兼師匠兼雇い主であるミアキスからのお仕置きは考えただけで背筋が凍る。
そして何よりも、孤児たちを抱えて火の車な虎酒家の経営を少しでも助けるために、副賞であるツスクル平原産のブランド米『鹿の尾』一年分は何としても譲れない。
「こちらから仕掛けさせてもらいますわ!!」
果たして、睨み合いは長くは続かなかった。
あまり焦らされるのはマユラの好みではないのだ。
これまでの試合相手たちがあまりにも不甲斐なかったせいで、イルマの手札は未知の部分が多いが、しかしなればこそ、虎穴に飛び込むのは心が躍る。
その胸の高鳴りを拳に込めると高々と跳躍して振り被り、流星のように打ち下ろす。
「…馬鹿力め!」
そもそもイルマに当てるつもりの無い大振りな一撃、しかし、革素材のみのグローブしかまとわぬはずのマユラの拳はハンマーの一撃の如く容易く石造りのリングを割り砕き、イルマは飛散する礫からの防御を強いられる。
その散弾銃のような礫を隠れ蓑に、マユラは四股を踏むが如く地を踏み締め、身動きの取れないであろうイルマに目掛けて引き絞った渾身の正拳を捻り出す。
「猛火!獅子王拳!!」
練り上げられた闘気がその名の通りマユラの身長を上回る程の炎の獅子の幻影となって吹き荒れる。
過去の大会で一度たりとも放ったことの無い大技であったが、ここであっさりと決着がつくほど、イルマの師匠の鍛え方は甘くはない。
「氷柱突き!!」
鋭い槍のようにつららが獅子のあぎとを真っ直ぐ貫いて霧散させるが、氷と炎、相性の悪さは歴然であり、氷注は獅子と相討ちに消失し、マユラまでは及ばない。
しかし防御に徹していれば、獅子に飲み込まれていたことだろう。
たとえ多少の傷を負うとしても、この隙をついてくるに違いないと反撃に出たのが功を奏し、挨拶代わりの正拳の打ち合いはひとまず互角に終わった。
(早速一発、使わさせられた…)
表情は崩さず、しかし内心イルマは舌をうつ。
一撃必殺の技を捨て駒に、まだ伏せておきたかった手の内を無理矢理に引き摺り出されたのだ。
葛藤を表に出さぬよう深く息を吸い肺に閉じ込めると、これ以上大技を打たれぬよう、既に早くも廃墟の様相と成り果てたリングを蹴ってマユラとの距離を詰める。
過去を精算し、イルマの胸から呪炎が消えたことは勿論喜ばしいことであるが、弊害もあった。
呪炎を抑えるために身につけた氷拳、イルマはあまりにも適性が高かった為に、師を凌ぐほどの技の精度を発揮することが出来たが、それはまた技の反動が大きいことを意味する。
呪炎の熱という都合の良い反作用を失った今、氷拳を放ち続ければ、たちまち身体が凍りついてしまう為に連発が出来ない。
威力も同様である。
先の氷柱突きもまた、かつてヒッサァを相手に放った時に比べ格段に勢いは削がれていた。
格闘にも深い造詣があれど、現在最も手に馴染んだ得物である槍を使わないマユラと、長年身体に染み付いた氷拳の気の流れをセーブして戦わざるをえないイルマ。
互いに大きなハンデを背負った闘いであることを、見守る観客は知る由もない。
「まあずいぶんと、情熱的ですこと!」
(当然…そう来ますわよね)
マユラは肉薄したイルマから絶え間無く繰り出されるパンチとキックを甲で捌き、弾き、合間に反撃の拳を繰り出す。
イルマもまた、マユラの拳を掌で受け流し、または首を捻って交わし、攻撃の手を一切緩めない。
(身体が鈍い…ここまで響くか…)
常人からすれば目にも止まらぬ早さであるが、イルマのトップスピードには程遠い。
氷柱突きを放ったことにより身体が冷え、筋肉が強張っているのだ。
解きほぐす為にも身体を動かし続けねばならない。
マユラの拳を受ける事によるしびれや痛みすら己のが身を叩き起す糧として、イルマは拳を振るい続けるのであった。
続く