おはらいと括ってしまえば一言だが、物や土地に固着した呪いを祓う手段は実に多岐に渡る。
あえて具現化させた呪いと真っ向勝負を仕掛けたり、有無を言わさず呪文で消失させたり…果たして黄金鶏神社の神主らぐっちょの手法はといえば、ただひたすらに、向き合う事だ。
それは、一歩間違えれば自身も呪いに飲み込まれかねない、最も危険な手法である。
しかしらぐっちょはその手法に、相手の話を聴くことに拘ってきた。
稀に土地神などの例外もあれど、呪いの主とて大抵はかつてのアストルティアの民である。
有無を言わさず消し飛ばしてしまうのは簡単だ。
危険も少ない。
だがそれはあまりにも、人情が無いではないか。
純白のオグリドホーンに宿る呪いを祓ったあの日。
らぐっちょは彼女の嘆きと怒りの根源、白姫と名も無き男の最後の瞬間を、追体験したのだ。
…
……
………
良かった。
生きている。
足元の雪を流血で赤く染めつつも、しっかりと立つ見慣れた背中に安堵の息を漏らす。
「…良かった。まだオレがオレでいる間に、来てくれて」
しかし、振り向いた彼の身体は袈裟に大きく三本の爪跡が走っており、表情は苦悶に満ちて頭を覆う鱗の半分は既に鳥のような羽毛へと転じ、なお侵食が進んでいた。
どくん、どくんと規則正しく噴き出す血。
その深い傷は、心臓にも触れている。
そして何よりも問題な事に、天魔の魂に憑依されている。
どうすればいい?
どうすれば、彼を助けられる?
しかし、待ち受ける彼の消失という最悪な結果よりも、さらに残酷な願いを告げられようとは、思いもしなかった。
ゆっくりと持ち上がる指先が、地に落ちた古びた杭を指し示す。
「それを…オレの胸に突き…刺すんだ」
「馬鹿な事言わないで!!」
「知っているだ…ろう?このままでは…オレは新たな天魔となり…君を喰って…しまう」
天魔の転生能力の絡繰りは、事前に白姫の実父から聞いていた。
今際の際の血を浴びせた相手の魂を侵食し、自らへと変貌させる能力。
勝ってゼキルの聖杭にて魂を封じられれば一番良し。しかし常軌を逸した相手だ、そうはいかないだろう。であれば諸共、自身の他に血を浴びた者なく相討ちとなれば、天魔の魂はそのまま行き先を失い滅びる。
身に付けた剣技は、今日この日の為にあったのだ。
そして自らも致命傷を負えど、辛うじて天魔に致命傷を与えることに成功した。
この分なら、先に自分が息絶える。
しかし予想外であったのは、天魔が死す前から魂を転送できた事だ。
もとより死ぬ覚悟、ゼキルの聖杭をもって決着を図ったが、自身のダメージと、予想を上回る天魔の侵食速度がそれを許さなかった。
「天魔が弱っ…ている…今しか…無いんだ…」
「何か…何かあるはずよ!」
「これで終わりに…するんだ…君と、オレで…天魔を…ぐっ…うあッ!?」
背を突き破り、巨大な羽根が生え出る。
死に瀕した身体であろうと、そこに残されているなけなしの生命力を磨り潰すように肉体の変質は進んでいく。
万策は尽きているのだと、嫌というほどに理解させられた。
愛しい人を殺す覚悟など、どれだけ時間を費やそうと出来るはずもない。
それでも白姫の身体が動いたのは、せめて彼の姿だけでも天魔に奪わせはしないという、ささやかな望み故であった。
扱いやすいようにだろう。
杭とは名ばかりで、短剣のように加工された木片を拾い上げる。
雪を踏む音はよく聞こえない。
本能的に聖杭を忌避しているのだろう、逃れる為に身体を動かそうとする天魔を何とか抑えつけて、顔を背けたまま胸に飛び込んでくる彼女をただ受け入れた。
もっと早くこうして抱きしめて…奪い去ってしまえば良かった。
がくりと身体から力が抜ける。
伝えたい言葉は、山のように。
だが、何も言わずに倒れるべきだ。
何を告げても、それは、彼女にとってこの先ずっと引き摺る足枷となってしまう。
なんて考えてしまうのは、烏滸がましいかもしれないが。
続く