グランザは砲弾のように空に消えていくヒッサァの姿を一瞥する。
正直、助かった。
友とまるで生き写しなあの若者の姿は、今なおグランザを苛む。
『お前はそれでいいのか』と………
「やったなグランザ!聞いたぞ!今度のグロスナー王とバグド王との会合で、通行料が撤廃だって?」
友はこちらを見つけるなり走りより、がしりと無遠慮に肩を組む。
彼とは生まれた部族、もちろん住まう集落も異なるが、互いに長の補佐役として会議の場でまみえて以来、不思議と馬があった。
獅子門にゲルト海峡、ザマ峠など、オーグリード大陸の各地に点在する関所。
観光やクエストに関わる通過ならば免除されるが、商売目的となると、グレンやガートラントに籍を持たない部族の者たちは少なくない金銭を支払う必要があった。
稼ぎは大きいが一つ一つに時間を要する伝統の織物に代表される民芸品、手っ取り早いが腐敗などのリスクゆえ早急に輸送しなければならず、通行料を差し引けば雀の涙ほどの稼ぎしか残らない狩りの獲物や農産物。
いつだって集落の懐事情は厳しかった。
現に、伝統ある暮らしを捨て、グレンやガートラント、果ては他の大陸の都市へ移り住む者も多い。
他ならぬグランザの娘もまた、集落を訪れた冒険者と結ばれ、今はグレンで暮らしている。
現状、部族の未来は明るくない。
しかしそれも全て、これで解決する。
「気が早い。喜ぶのは正式に決まってからにしろ」
口では友を諌めておきながら、グランザもまた表情を緩ませる。
「固いことを言うな!これで、生まれてくる孫には、ひもじい思いをさせずに済むんだ。こんなに嬉しい事はない!前祝いだ!今晩は呑み明かそう!!」
友は本当に心の底から嬉しい時、笑窪ができる。
「いや、すまないがこの後、酋長に呼ばれているんだ」
「それは仕方ないな。お前の所の酋長も高齢だ。いよいよその座を譲るという話ではないか?」
「…まだ務まらんよ」
実は既にその打診は受けているのだが、自嘲気味に友の言葉を躱した。
「何を言う。互いに孫が生まれようという歳だ。それに今回の働き…お前の他に適任はおるまいよ」
「あまり煽ててくれるな。では、またな」
事実として、風来坊と揶揄される友の、実際に現地を旅して収集された幅広い知見が今回の条例改訂に繋がったと言っても過言ではないのだ。
それを自身の功績とすることは、誰よりもグランザ自身が認める事ができない。
酒の相手を捕まえそこねて残念そうに去り行く姿。
友の背中を真っ直ぐに見ることが出来たのは、この日が最後となった。
その夜、グランザは白姫にまつわる忌まわしい真実を先代の酋長から聞かされる。
それはある種、部族連合を束ねる酋長となる者に課せられた、通過儀礼のようなものだった。
「馬鹿なっ!?魔物を盾に…何て事を…はるかな過去のことと許される筈もない!何よりも…祖霊に恥ずかしいと思わないのか!」
その非道な行い、延々と続く醜悪な慣わしに、グランザは激昂を隠せない。
「…永きに渡り隠蔽を行ってきたのもまた、我らの祖先だ」
「話にならん!」
埒が明かぬとグランザは立ち上がる。
「何処へ行く?」
「知れたこと!全てを王に打ち明ける!!」
「会合を、水に流すつもりか?」
夜中であれ直ちにバグド王、グロスナー王に謁見を申し入れに出ようとしたグランザの心に、ゆっくりと毒が流し込まれた。
今思えばそれは、このタイミングを狙いすましての事だったのだろう。
手の届くすぐ目の前に、部族の皆の宿願、その成就が見えているのだ。
それを、不意にするのか。
ここに至るまで必死に改善をはかってきた部族に対する扱いは、何十年、いや何百年と後退するだろう。
その責任を、この身に背負えるのか。
(生まれてくる孫には、ひもじい思いをさせずに済む)
とどめとばかりに、友の言葉と笑顔が脳裏をよぎった。
「嗚呼…嗚嗚呼…!!!」
せめて酋長のテントを這うように抜け出したのが精一杯。
グランザは部族連合を取り巻く呪いのような史実に囚われ、その場に四つん這いになって一目も憚らず慟哭したのだった。
やがて酋長を引き継ぎ数年が経った頃。
罪悪感に耐えられなくなったグランザは、友に全てを打ち明けた。
力の限りに殴られると思った。
何故もっと早く話さなかったのだと詰られると思った。
他ならぬ彼にこそ、己を断罪してほしかった。
しかし彼はただ、『お前はそれでいいのか』と言い残し去っていった。
その日、グランザの心は死んだのだ。
続く