両手に携えた扇を、いなりと共に特訓した舞の所作でくるりと振るい、氷の障壁を創り出して漆黒の濁流もろともに天魔の巨体を押し戻す。
「いな姉、大丈夫!?」
いなりの方へ振り返ったその姿は冷気の霧をまとい、額に幻のように揺らめく一角をいただきながらも、その瞳には確かな意志が戻っていた。
「白姫…いや…ヤマなの?でもその力は…」
「…もう彼女には時間がないの。それでも消え去る寸前、最後の力を貸してくれてる…」
胸の奥に感じる、冷たくも暖かい鼓動。
次第に弱まりながらも、家族を、大切な姉を守りたいというヤマの想いを、力の限りに後押ししてくれている。
「いな姉!やっつけよう!やっつけようコイツ!!絶対に!」
身体にまとわる氷塊、とりわけ顔面を覆う氷を割り砕こうともがく化け物を鋭く睨む。
天魔さえいなければ…私と彼には、違った出会いが、違った未来があったのだろうか。
それは本当に本当に、ささやかでちっぽけな夢想。
怒りと憎しみに駆られ、大勢の無辜の人たちを手にかけた。
その罪を自らが一番よく知ればこそ、口にするどころか考えてすらいけないと、胸の奥の奥に鍵をかけてしまい込んだ当たり前の夢を、唯一この場で、深く心が繋がったヤマだけが知っていた。
自身も白姫のように、他とは違って生まれた。
だから分かるなどと烏滸がましいことは言わない。
その苦しみは自分とは似て非なるものであるし、どんな理由があれ、繋がった心の奥で垣間見たかつての白姫の所業は許されるものではない。
それでもたった一人だけでも、彼女のささやかな夢に寄り添って、代わりに怒ってやれる奴が居てもいい。そして今それは、自分にしか出来ない事なのだ。
「いな姉、絶対に、欠片でも奴の血を浴びてはダメ!!私とシロちゃんで出来る限り凍らせるけど、全部上手くいくとは約束出来ない」
白姫を通して、天魔のからくりは知れている。
先程のように、いな姉か私に血を浴びせようと躍起になってくるはずだ。
「シロちゃんと同じように、奴にも時間はそんなに残されてない!私達なら、きっとやれる!!」
奴の時間が尽きるまで、凌ぎ切れば勝ちだ。
かと言って逃げに徹するのもこの山道と敵の突進力を考えれば悪手である。
「なかなか難しい注文をいう…」
斬撃は骨には効果が薄い。
しかし肉を狙えば返り血が迸る。
中々に難題だが、確かに見ているそばから天魔の身体のあちこちは黒く炭化し僅かながら崩れていっている。
制限時間があるのはいなりの目から見ても間違いないようだ。
(それにしてもシロちゃんって…)
妹ヤマの心を許した相手に対する人懐っこさを再確認して、微笑ましいやら恥ずかしいやら。
くすりと微笑み、いなりは刀を抜く。
攻め手がはっきりすれば、先程のように受けるなどという無様は晒さない。
ヤマを戦いに巻き込むのは心配しかないが、先程の惚れ惚れするような身のこなし。
剣舞の特訓もあるが、幻影のように重なる白姫が、氷の力だけでなくヤマの所作もサポートしてくれているのだろう。
贔屓目を抜いて、一流以上だ。
共に舞うに支障無い。
「「いざっ!!!」」
不敵な笑みを浮かべあい、いなりとヤマは、一世一代の剣舞に挑むのであった。
続く