それはまさしく、舞のような剣戟だった。
刀がなぞる端から後を追って扇がしなり、ぱっくりと開いた切り口を氷が覆う。
破れかぶれに自ら腕を引き千切り、逃れられないタイミングで飛沫を浴びせようとするも、いなりとヤマは互いの身体を支えあって無理な体勢からの回避を成立させ、躱した空間を薙ぐ黒霧を吹雪で押し戻す。
今際の際に、木に寄り掛かるように横たえられた男はその美しい舞のような戦いを竜の眼に焼き付けていた。
時折、天魔の爪が掠めるも、いなりとヤマの完璧な連携を崩すには至らないが、幾度かの攻撃の一つがいなりのこめかみを掠め、眼帯の紐を断ち切った。
普段は眼帯に隠されたいなりの瞳の下、泣き黒子のようにわずかに垣間見えた一片の竜の鱗に、男は目を見張る。
混血の剣士と、鬼の姫。
いなりとヤマの姿に、かつての己と白姫の幻影が重なる。
この二人のように、最後まで彼女とともに苦難に立ち向かっていたのなら…
周りと違って生まれようとも、かように真っ直ぐに生きようとすることが出来たなら…
違った未来は、きっとあったのだろう。
それを知れただけで、悠久の時を経た甲斐はあった。甲斐は、あったのだ。
ーーーありがとう
末期の言葉に気付いた白姫に引き摺られ、振り向いたヤマの視線の先で、男の亡骸が光に包まれ姿を変えていく。
あの日のようにまた一人で、一人だけで格好をつけるなんて、絶対に許さない。
最後の力で持ち上げたヤマの左手から、白姫の魂が一迅の雪風となって抜け落ち、光に変わる男の亡骸と混ざり合う。
それは次第に形を変えて、一振りの長刀へと変貌を遂げた。
「いな姉!!」
ヤマの鋭い声に振り返った先、こんな緊迫した状況においても息を呑むほどに、美しい刀が目にとまる。
手に馴染みあるいつもの二刀、
しかし、それを打ち捨ててでもその刀を獲るべきだと、いなりの直感が告げていた。
「ふっ…!!!」
揃えた二刀を袈裟に振り、大きく天魔を蹌踉めかせると刀へ走る。
しかしそこは四脚、バランスを整えるのが早い。
すぐさまいなりの後を追い、その背に迫る。
テルルとマユラに投げ飛ばされたヒッサァが飛来したのは、まさにその瞬間であった。
「せいッ…!!」
着地などどうでもいい。
すれ違いざまに渾身の槍の一閃を見舞い、勢いのままに彼方へと転がり去る。
しかして骨が剥き出しの上半身に与えられた強烈な一撃により、天魔の身体は大きく蹌踉めき、その隙にいなりは男と白姫の想いのこもった刀を手に掴んだ。
「いっちょ、ぶちかましておくんなましですぞーーーっ!!」
ようやくアブソリュートレイの反動から立ち直ったらぐっちょが地をばしんと叩けば、霊験あらたかな黄金鶏神社の種々多様な御守が全種詰め合わされた強化ガジェット鶏式が、いなりを中心に理想的な揚げ油のような金色の魔法陣を展開する。
その輝きがいなりの全身、純白の鞘に納まる刀の切っ先まで伝播していく。
限界の先の先、渾身の力のまたさらに上の力をその身に込めて。
一迅の雪風が、天魔を駆け抜けた。
チキ、と天魔の遥か後方に姿を現したいなりが刀を納める微かな音が鳴る。
誰の目にもとまらない神速の居合が為された音とともに、天魔は巨大な氷塊に包まれ、真横一文字に走った断裂から亀裂が無数に全身へ拡がって、粉と砕け散っていく。
ついぞ、相当の手数を繰り出しながら、いなりともヤマとも、血の繋がりを作り、乗っ取ることは出来なかった。
それでも死に汚く、足掻くように拡がろうとした瘴気を、くるりと辻巻く二筋の粉雪が取り囲み天へと舞い上がると、やがて全て霞のように消え果てる。
「…終わった。終わったんだね…」
死後の世界を信じるヤマではない。
それでも、白姫と男の魂が安らかであるように、いなりと二人、いつまでも空を見上げるのであった。
続く