闇から滲み出た醜怪な二本の腕、その膂力により額縁は内側から押し広げられていき、長方形に整っていたフレームはすっかり歪んだ円型に姿を変えた。
その広さはまだ充分とは言えずとも、大きく開いたその水面から、腐臭を放つ絵の具の塊が待ち切れずにまろび出る。
濃厚な毒素をはらむ醜悪な色を撒き散らしながら、最初は真っすぐ伸びる汚泥の塊でしかなかった物体は、次第に歪ながら形を成していく。
「これは…」
その身は、虚空から生え出る腕と頭のみ。
「まさか…ドラゴン…?」
勇ましさも、尊厳も、およそ褒め称える要素の何もかもをかなぐり捨てている。
しかしながら、確かにそれは竜であると皆が悟った瞬間、復活を果たした模造品の竜はどうあっても噛み合わない歪な口を大きく開き不揃いな牙を見せつけながら、心臓を握り潰すようなおぞましい雄叫びをあげるのであった。
「盟主様!」
「…くっ…状況は…どう、なっている?」
身体に無惨な傷は走るままであるものの、キルルの介抱と必死な呼びかけに何とか盟主は意識を取り戻す。封じる数多のモンスターの記憶のうちの一体、『模造品の竜(イミテーションドラゴン)』。
その危険性を理解し、生まれに遡って、まだ呪われた絵画の状態だった頃の姿にまで押し込めることで、充分な対策をうったつもりだった。
しかしやはりアストルティアの民にとってのドラゴンという存在の大きさ、そして、討伐されるまでの僅かな時間とはいえ、かつてマイタウン区画の上空という大多数の目撃者を作る場所で完全顕現した事による影響力は、盟主の備えを遥かに上回ってしまったのだ。
幸い、アストルティアの民は、模造品の竜が特別な血をもってしか傷付けられない事を知らない。
彼らの記憶に基づき再生している以上は、復活した模造品の竜もまたオリジナルの持つその特異性を損なっており、通常の剣や呪文で相対する事ができるのがせめてもの救いだが、祝祭参加者達の閉じ込められた部屋は模造品の竜の支配下にあり、転送して助け出すことはおろか、室内の様子すら確認ができない。
浮遊すらままならず、身体を横たえたままどうしたものかと盟主は頭を悩ませるのであった。
「…完成、しました」
クマヤンは慎重に作業を終え、深く息を吸うと額の汗を拭う。
「でも、上手くいくかどうか…やはり、ここは俺が…」
この招待状のレプリカは、理論段階ですら確証のないアイテムである。
実験台になるのは、作った自分が相応しい。
しかしながら、気力体力魔力、それら全てをアイテム作成に注ぎ込み、今のクマヤンが立っているのもやっとというのは子供でも分かる。
「大丈夫。必ず上手くいくよ!」
この感覚は、言葉ではうまく説明ができない。
カルサドラ火山でソウラと出会ったように、偽りのメルサンディでアンルシアと出会ったように、海底離宮でマユミを含む突入部隊の面々と出会ったように。
そして、遥かなるエテーネでメレアーデと出会ったように、アペカの村でエステラ、魔界にてイルーシャと、ユクに出会った時のように。
先を知らずとも、この出会いは偶然でなく必然、冒険譚のタイトルを借りれば、導かれていると感じる瞬間がある。
今もそうだ。
運良く大魔王城に帰還しているタイミングでイルーシャが失踪、アビスジュエルと勇者姫の石、飛竜を乗り継いで、最短最速で事態を把握しつつクマヤンのもとまで辿り着くことが出来た。
これで上手く行かない訳が無いのだ。
「相棒を、頼みます」
「ああ、もちろん!ルシェンダ様、お願いします」
クマヤンの作成した封筒を強く握り締める。
定員オーバーの当日参加だが、無理矢理にでも席を用意してもらうとしよう。
ルシェンダによるリレミトの詠唱が始まり、身体が軽くなっていく感覚と共に、少年は瞳を閉じた。
続く