この城塞に集まるのは、アストルティアの民の悪夢。やがて集い濃く強く重なり合うと、再び形を成す。
故にそこには意思はなく、機械的な破壊衝動のみが彼らをつき動かす。
知の城塞、ひいてはこの知の祝祭のシステムが構築された遥かな古から、城塞に捕らわれた悪夢は知の盟主により完璧に封印、統制され、再び現実に仇なすことは一度たりともなかった。
その、唯一の例外。
かのモンスターの歴史の長さ故か、はたまた、見知った者の多さ故か、城塞内に盟主の許可なく再顕現した模造品の竜は、確かな目的意識と悪意をはらんでいた。
盟主の施した封印は払いきれていない。
力任せに拡げた封印の隙間から頭を伸ばし、獲物を見つける。
完全なる自由を手に入れる為には、まだ足りない。
新鮮な血を。
新鮮な恐怖を。
さらなる力を手に入れるべく、模造品の竜はおぞましい雄叫びをあげた。
部屋全体をビリビリと震わすほどの咆哮で動きを阻害し、逃げ遅れた手近な二人に目掛けて息を吐く。
質量を感じる程に濁ったその息は致死の猛毒をはらむ。
黒い角の生えた女がもう一人を庇い立て突き飛ばし範囲外に押し出してしまったため、まずは一人に留まった。
鼻と口を覆い、毒霧から逃れ出ようとももう遅い。
肌からも染み入った毒はその身体を蝕む。
即死させるなど勿体無い。
じわじわとゆっくりゆっくり丁寧に、時間をかければかけるほどに恐怖は伝播し熟成されるのだ。
「…エステラさん!」
エステラのお陰で難を逃れたアンルシアと、駆け寄ったメレアーデが蹌踉めき膝をついたエステラを両脇から抱え上げて助け出し、イルーシャがキアリーで解毒を試みるが、その肌はどんどん紫に変色していき、せめて侵食を遅らせるので精一杯である。
「よくもっ!」
再度のブレスを警戒しつつ、抜き放った剣を構えてアンルシアが吶喊をかける。
遅れメレアーデがアンルシアを援護すべく、初手から惜しみなくブーメランの大技、レボルスライサーを撃ち放った。
狙いの通り、高速に縦回転するブーメランの斬撃は模造品の竜の身体を鎧のように覆う汚汁を弾き飛ばし、顕になった油絵のような体表にアンルシアのサーベルが突き立った。
「…っ!?」
剣の手入れは怠っていない。
最高の斬れ味をもってして尚、竜の体表はそれを絡め取り滑らせる程の脂に濡れていた。
思い描いた斬撃の軌道が逸れて取り落としそうになった柄を蹌踉めきながらも握り直し体勢を崩したアンルシア目掛けて、無数のドルマの光球が殺到する。
「詠唱も無しに…!無茶苦茶なっ!!」
たたらを踏みながらも、1つ、2つ、3つ目を切り裂いた所で、直撃を免れようともそれぞれの至近距離からの爆風に煽られて、もはや避けようの無い4発目がアンルシアに迫る。
「…『世界』のタロット!」
間一髪、ポーチの山札から1枚だけを引くワンオラクルでユクが手繰り寄せた魔防の壁がアンルシアを包む。
しかし防げるのは一発限り、石を投げられた窓ガラスのように容易く不可視の魔防障壁は砕け散り、続いた5発目と6発目がアンルシアを捉えて受け身も取れずにその身が吹き飛ぶ。
それすら狙いすましてのことか、ユク目掛けて飛来するアンルシアのか細い身体を受け止めて、しかし殺しきれない勢いに二人はまとめて転がった。
誘爆に巻き込まれたメレアーデもまた何とか片膝で立ってこそいるが、手元に戻りくるブーメランを取りこぼすほどにダメージを追っている。
ほぼ瞬時にして獲物たちは壊滅寸前。
何とも歯応えのないものだと、模造品の竜は呆れ果てる。
とはいえ、さぞかし上質な恐怖を吸えるだろうと大口を開き、しかしそこで模造品の竜は予想が外れて首を傾げた。
この状況でありながら、唯の一人も、恐怖の欠片すら抱いてはいなかったのだ。
続く