「で、私のマブダチを連れ去ったあの阿呆は、何処?とっとと助けに行きたいんだけど」
本題をサクッと切り出し、キャラメルを嗜むように口の中で酒粕を転がす。
「案ずるな…奴はあの娘を斬らなかった。何か使い途があるということだ」
「尚更、酒呑んでる場合か!!」
だんとじにーの拳が振り下ろされて、簡易なカウンターテーブルがぐらっと揺れる。
表面張力で保たれていた熱燗、溢れ舞った酒が落ちる前に、狸は突き出した口でズズッと吸い上げる。
「ああ店主、すまんな、ほれお前、他の客にも迷惑だろうが」
すみませんと素直にじにーも頭を下げる。
幸いというべきか、程よく酔いの回った客たちは誰一人として気にする様子はない。
こういう距離感の近い店だ、少々の荒事もまま日常茶飯事なのだろう。
「言うたとおり、居場所なら分かっている。しかし強力な結界が張られていてな。現状、破ることは敵わん。かのかげろう殿でも斬れなかった結界だ」
「…かげろう…!知ってるの!?」
思いもかけぬ相手からその名が飛び出して、じにーは狸の袖を掴みぐいと引く。
それを意に介さず、狸は呑気にもも串をほうばった。肉の甘味に僅かな焦げ目の香ばしさ、ちょいと載せられた柚子胡椒がシンプルながら奥深い味わいを演出する。
「んん美味かな。しかし襟を引かれたままでは苦しくて喋りたくとも喋れんなぁ?困った困った」
「くっ…この…」
渋々ながらも、じにーは狸を開放すると、どかっと頬杖をついた。
それを待ってから、狸は鶏の濃厚な旨味の残る口内に熱燗を一口流し込む。
とびきり燗と呼ばれる、55℃以上に温められた純米酒はキレ味抜群で、米の香がスッと鼻へと抜けていく。
「ああ、一日ぶりにようやく鼻が通った。香水がキツくて堪らんかったからなぁ」
言われてじにーは思い起こす。
あの戦場には、むせるほどに強い沈丁花の香が漂っていた。
「順を追って話す。お前達を襲ったあの者は、アカツキという」
隣り合う客との距離がゼロの店内、しかし、狸が重々しく口を開こうと、まわりはそれぞれに盛り上がり、切り取られたようにじにーと二人きり、話は進む。
「母の顔を知らず、やがて父も失い、餓死寸前だったところを儂が拾い、育てた」
言葉にすればそれだけだ。
だが、その長い時の流れが、じっと空になった酒杯を眺める瞳に浮かんでいる。
「才ある娘だった………やがて、かねてより憧れておったかげろう殿の御庭番に選ばれた時には、こうしてここで祝杯をあげたものだ。つい、昨日のことのように思い出せるわい」
もちろんアカツキは酒ではなく柑橘の搾り汁であったが、あの夜は互いに心地良く酔っ払った。
もう、戻らぬ日のことだ。
「しかし、才能だけでは、ただ強いだけでは、時としてどうにもならぬこともある」
時として、悪というものは遥か想像を絶する卑劣な手を使う。
心根を強く育ててやれなかったことを狸は悔い、瞳を閉じた。
「………かげろう殿と儂は、あやつが姿を消してからこれまで10年間、ずっと探しておった。一足先に接触したかげろう殿は行方知れず…遅れを取るような御仁ではないが、恐らくはお前の連れと同じく、捕らわれたのであろうな…」
「10年間…10年前…前回の百鬼夜行………それって…かげろうさんだけが生き残ったっていう………」敵の身なりはとても整っていて、ああまで強く香水をふくような間違いをするとは思えない。
あれは………それでも隠しきれない腐敗、死の臭いを誤魔化すためであったのではないかと、じにーは思い至る。
「………左様。あれは、その夜に死んでおるのだ。それが無下にも無理やり操られ、はや10年、未だ彷徨っておる」
ミシリと音が走り、見やれば狸の握る器にヒビが入っている。
変わらず飄々を装う口調にも、ずっと、かなうならば直ぐにでも飛び出していきたい心根が滲んでいることに、ようやく気がつくじにーであった。
続く