踏み込みから踊るような身体の回転を加えて右からの横薙ぎ、止められずからくも流した所へ、鎌首をもたげていた左の一刀が袈裟に振り下ろされる。
何とか二刀を重ねて凌ぐいなりだが、それでも大きく仰け反らされた所へフェンシングさながらの鋭い突きが走り、喉の薄皮を掠めた。
僅かに滲む傷口の血が宙に取り残されるほどの瞬時の踏み込みで反撃の刀を振るったいなりだが、対してかげろうは時間を巻き戻すような所作で既に体勢を整えており、ただ持ち上げたに等しい左の刀で大きく弾かれる。
(まるで壁だ…!)
堅牢な石垣でも誤って斬ろうとしてしまったかのような感触に舌を巻く。
いなりとて手を抜いている訳では無い。
無論、かげろうを斬りたくなどないが、つもりでは到底足りず本気で倒す覚悟がなくば、とうにいなりの身体は腑分けられているだろう。
加えて、いなりが紛いなりにも渡り合えているのにはもう一つ理由がある。
先程の突きもそう、確殺の一撃、とどめをさそうと刀を振るう時にだけ、かげろうの手元が狂うのだ。
(…また、か)
肉体の違和感は、未だ拭えていなかった。
身の丈や手脚の長さを錯覚し間合いを取り違えるだけではない。
刀の重さはまだこの身には過剰、遠心力を加えて安定させねばならないというのに、呼吸のように出来ていた筈のそれを、身体が忘れている。
まるで膂力が刀の重さに足りているかのように振る舞う我が身、それが筋を痛めるのを防ぐために、斬撃の軌道は急な変更を余儀なくされて敵に対応する隙を与えてしまう。
加えて、かげろうの頭の中では、こうしている今も二つの声がぶつかり合っている。
アカツキの仇を何としても斬り捨てろという声と、この女を斬ってはいけないという声だ。
あまりにもやかましくぶつかり合うものだから、先も狙いが乱れた。
刀は心根で振るうもの。
斯様に千々に乱れては、斬れるものも斬れない。
かげろうは真っ当に刀を振るうべく、相反する二つの声の折衷案を闘いのさなかに探し続け、遂にはそれに辿り着く。
『眼の前のコイツに、無様は晒せない』
敵味方、格上格下、怨みつらみ、その他一切を抜きにして、ただただ己の全力をぶつける。
その一心、腑に落とし込む。
そしてそうなれば、この幼き身では未完の筈であろうとなんであろうと、かげろうのとるべき構えは決まっていた。
その構えを、いなりは知っている。
交差式逆手居合『遠雷』。
間違いなくかげろうの誇る最強の御業だ。
その技を一度見たから、知っているからといって、どうこうなる代物ではない。
加えて当り前ながら、その時はこちらの完敗だった。
構えを決めたかげろうはもはやぴくりとも動かない。待っているのだ。
相対する敵、いなりが、かげろうと同じく全てをぶつける用意を整えるその時を。
いなりは一度刀を納め、深く深く深呼吸を繰り返し、刹那の間に幾度も幾度も脳内でこの先を思い描く。
「ふぅ…覚悟が、つきました」
とん、とんと右の爪先で軽く地を小突いたあと、いなりは瞬時にして最高速度で走り出す。
疾い。
迫りくる敵の早駆けにかげろうは舌を巻く。
だが、それだけだ。
極限まで研ぎ澄まし、敵の斬撃の『起こり』を見定めれば、造作もない。
スローモーションに見える世界の中、かげろうは確かに、それを掴んだ………筈だった。
「…!?」
カウンターのタイミングであれ、遥かに相手の剣速を上回るはずの『遠雷』の二太刀。
しかしそれは、相手が構え、剣を抜き、振るうまでのほんの刹那の間、その一連の隙があってこそである。故に、敵がいつ刀を抜くのか。
それを見抜かねば、『遠雷』による後の先は成立しない。
いなりはかつて『遠雷』に敗北した悪魔王の御前死合で、自らの最高到達点の居合をかげろうに破られた。つまりいなりにとっては、刀を抜けば負けは決まる。
で、あれば。
………刀を抜かなければ良い。
「無様でも何でも!貴女の隣に並び立つまで!!絶対に…死ねるかッ!!!」
両者、ついぞ刀は鞘におさまったまま、いなりの雄叫びとゴスッという鈍い音ともに、かげろうの顔面へ綺麗な頭突きが炸裂する。
勿論だが単純に真っ直ぐ走っただけでは、間合いに入った瞬間かげろうにバッサリ斬られて終わり、こうはならなかっただろう。
例えどんな姿形をしていようと、相手がかげろうであるならば………
もとより勝ち目の無い勝負、腹を括ったいなりは非常に分の悪い賭けに出て、見事この結末を勝ち取ったのだった。
続く