いなりの全速力からの衝突の威力は凄まじく、鼻血を吹き宙を舞いながら、かげろうは走馬灯のようにかつて誰かに向けた自分の言葉を思い出していた。
『…無意識なんだろうが、お前は刀を抜く寸前、わずかに鞘を握る手がりきむ。その癖が抜けぬ限り、私には勝てんよ』
何とも卑怯だ。
大事な許嫁の手癖を、私がよみ違えるはずがなかろう。
こいつはそこに見事、つけこんでみせたのだ。
その姿も記憶も過去に戻されようとも、身体は確かにこの10年を覚えている。
故に、いなりが垣間見せた刀を抜くブラフにしっかり反応してしまった。
超高速の果たし合いであったからこそ、そこには絶対的な隙が生まれ、刀を抜くと見せかけ実際はそのままに走り切ったいなりが、かげろうに速さで勝ったのだ。
「…すまん。手間を掛けた、いなり」
吹っ飛ばされたまま大の字に横たわるかげろうが呟いた。
名を呼ばれ、記憶が戻ったのだと知ったいなりもまた、緊張が途切れた反動で座り込む。
いなりを思い出すと同時に、この10年の記憶、そして、10年前の百鬼夜行の顛末も、雪崩のようにその脳裏に押し寄せる。
行方知れずとなっていたアカツキの父。
それが、10年前の百鬼夜行の首魁の姿であった。
まるで再会を喜び合うように向かい合って事切れている両者の姿を、確かにかげろうは見た。
クエストに危険はつきものだ。
現に今回も、百鬼夜行の外縁で防衛ラインを敷く剣士たちにも犠牲が出ている。
しかし思えばそれは、初めて目の当たりにする近しい者の死であった。
しかし悲しむ暇はない。
何故だか未だ尽きぬ鬼の群れを内心の動揺を隠して斬り続け、その果てにかげろうは、死を確認したはずのアカツキと再会した。
袈裟に裂かれた胸の傷。
心臓にも達しているであろうその切れ目を目蓋のように蠢かせ、その奥に獣の瞳のような拳大の石が垣間見える。
「…かげろ…うさま…」
「アカツキ!すぐに手当を…」
異様な光景である。
しかし、アカツキは、生きていた。
愚かだった幼き自分は、都合のよい状況だけを、間違ったままに受け止めた。
「が、ふっ…早く…こいつを…砕い………わた…しはも…ぅ…」
冥府から引きずり戻されたアカツキは、夜行石が自らの、かげろうの傍にいたいという願望につけ込み、そしてそれを捻じ曲げていくのを感じていた。
「斬って…くだ…さい…ッ!」
アカツキの懇願を受けても、かげろうは動けなかった。
初めて魔物を斬った時ですら、まるで機械のように淡々とこなした自分が、震えが止まらず刀を落とし、がくりと地についた膝は再度立ち上がるに用をなさない。
その身は血塗れのまま、アカツキの胸の傷はやがて血管で縫い合わされるように綴じられて、彼女に似つかわしくない残酷な笑みを浮かべた後、アカツキはかげろうの前から姿を消した。
あの日アカツキの最後の願いを叶えられず、そしてこの結界の中、今の今まで忘れさせられ、あまつさえ、いなりをこの手にかけようとすらしていた間抜けな自分に、切り刻んでやりたいほど腹が立つ。
かげろうはすっかり元の姿を取り戻し、結界の外から繰り返し過去に引き戻そうと夜行石がその心の内へ囁けど、もはやまやかしは届かない。
「…アカツキ…すまない…随分と待たせた」
全ては弱き己の心ゆえ。
敬愛する人の亡骸を、10年にも渡って辱めることとなってしまった。
「これでは赤鰯を腰にさげていると言われても文句は言えんな」
恥ずかしくも涙に赤らんだ瞳を晒し、それでもかげろうは10年にも及ぶ因縁にケリをつける為、しかと立ち上がるのであった。
続く